日々の暮らし · 商から清まで
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身近な問いから、歴史の世界へ。

二十二種の番組表——廟の露台と街を歩く芸人
六月二十四日、汴京の灌口二郎の廟では夜明け前から露台で百戯が始まり、日暮れても終わりません。番組表は二十二種。露台前の幡竿は二本あり、一本は京城所、一本は修内司が建てました。竿に登る芸人は、赦令のとき金鶏竿を登る役も務めます。

商謎——宋代都市の謎売り
宋代の都市では、謎を当てさせるのが大道の商売でした。まず鼓を打って人を集め、詩謎・字謎・戻謎・社謎を当てさせます。内輪には走智・下套・貼套・横下・問因・調爽の手があり、元宵の絹灯には詩詞や蔵頭隠語が書かれて通行人をからかいました。名を残したのは有帰和尚と馬定斎です。

寺の金と力——高陽王の一食と「二韭一十八」
高陽王元雍は「僮僕六千,妓女五百」、一食は数万銭を上限とした。尚書令李崇は富で天下を傾けながら吝嗇で、人は彼を「一食十八種」と言ったが、実は「二韭一十八」——韭は九と同じ音、二九で十八。洛陽の寺の多くは、こうした大邸宅が捨てられてできた。

鹿皮一枚に四十万銭——漢武帝の貨幣実験
白鹿の皮一尺四方に四十万銭の値が付き、諸侯は朝見の折に璧の下へ敷くことを強いられた。白金三品は文様で三千・五百・三百。赤側は一当五。額面が実価から離れ、私鋳は数えきれず、死罪の赦免は数十万人。最後に白金も赤側も廃止された。

布・刀・圜——戦国の金はどんな形をしていたか
戦国の金は道具の形に鋳られた。中原の布幣、斉魯の刀幣、秦魏の圜銭。秦の『金布律』はさらに具体的だ——布には法定の寸法があり、十一銭で一匹、悪銭も受け取り、千銭を一畚に封じる。ただしこれは秦の法である。

春秋の国はどう人を数えたか——三つの事件と八百乗
前590年、魯は「丘甲を作す」と記され、軍賦を「丘」へ下ろした。前589年、楚は出兵前に「大户」で戸口を調べ、全軍を動員した。鞍の戦いで晋は八百乗を求めた。どう登記し、一戸にいくつ課したかは、材料にない。

四面皆水——臨安の塌房商売
臨安の北関水門の内側に水路があり、慈元殿や富豪・内侍・諸司が水辺に塌房数十棟・屋数千間を建て、舗戸や客商に貸して荷を預けた。四面皆水で風燭と盗難を避け、月ごとに賃料を収め、別に巡廊銭を取って人を雇い夜警させた。

衣装の本色:服から職業が分かるということ
香舗の裹香人は頂帽披背、質庫の掌事は皂衫角帯——孟元老は開封の街で「是何色目」と見分けられたという。『宋史』は別の体系を書く。庶人は白、工商は皂白のみ、紫は禁。紫衫はもともと軍服だった。観察と法条を読み合わせると、その可読性は南宋末に緩む。

糖水を仏にかける——四月八日の都市の商い
四月八日の仏誕に、開封の十大禅院は浴仏斎会を開き、香薬の糖水を煎じて贈り合った。臨安では僧尼が小盆と銅像を捧げて富家を巡り「小杓を以て灌ぎ、以て施利を求む」。同じ日、西湖では放生会が開かれ、人々は亀・魚・螺・蚌を争って買い、放した。
