日々の暮らし · 商から清まで
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身近な問いから、歴史の世界へ。

餑餑の中の金錁——清の北京の年越し
清の北京の年は元旦の煮餑餑から始まる。裕福な家は金銀の小錁を餑餑に隠して一年の吉凶を占い、打春には春餅を食べ、婦人は大根をかじって「咬春」といった。灯節は十三日から十七日まで、市の食物は元宵が最大の売れ筋。店が開くのは初六から。

一枚の亀腹甲に二つの問い——商代の普通の人の一日
同じ亀腹甲の上で、貞人韋は同じ日に「我受年」「我不其受年」と正反に問うた。甲骨はほぼ王と貴族の記録で、普通の人は「衆」にしか現れない。王の心配は書けるが、普通の人の一日は書けない。

青銅八百キロ——商の身分はこうして鋳られた
後母戊鼎は重さ832.84キロ、鼎身に陶范8塊・各足3塊、原料は千キロ超、坩堝七十余基。婦好墓の副葬品1928件のうち玉器755件、二百余件は墓主より古い。材料はいずれも高等級墓のもの。

鹿皮一枚に四十万銭——漢武帝の貨幣実験
白鹿の皮一尺四方に四十万銭の値が付き、諸侯は朝見の折に璧の下へ敷くことを強いられた。白金三品は文様で三千・五百・三百。赤側は一当五。額面が実価から離れ、私鋳は数えきれず、死罪の赦免は数十万人。最後に白金も赤側も廃止された。

重陽——菊には名があり、糕の上には獅子がいる
宋人の九月九日は三つのことをした。名のある菊を見、獅子を載せた蒸し糕を食べ、城外の高台へ出た。都は七つの高台に出かけ、寺では獅子会、宮中では菊灯をともした——元宵のようだ、とある。

一挺の弩、五十歩の城壁——戦国城守の日常
秦兵馬俑坑と同型の銅弩機は牙・鉤・懸刀のみで郭がなく、射程は約八十メートル。『墨子』城守篇は五十歩ごとに人、石、水、松明を配分し、連弩車の寸法は銅部品の重さまで細かい。これは守城の手引であって戦報ではない。

雁と瓢箪——春秋の婚礼、掟と実際
礼書は六礼・媒人・聘礼・同姓不婚という段取りを定める。『左伝』が記すのは政治的な婚姻、随嫁の媵、そして息子の花嫁を奪った一人の公。礼書と実録は分けて読まねばならない。

戦国の人はどう厠に行ったか:二千四百年前の水洗便所
紀元前581年、晋の景公は厠に落ちて死んだ。春秋の宮廷の厠は深い穴だった。約二百年後、秦の櫟陽城の宮殿に、室内の便座と曲がった管、外の穴へ水を注いで流す設備が現れる。中国で出土したのは今のところこれ一つ。

布・刀・圜——戦国の金はどんな形をしていたか
戦国の金は道具の形に鋳られた。中原の布幣、斉魯の刀幣、秦魏の圜銭。秦の『金布律』はさらに具体的だ——布には法定の寸法があり、十一銭で一匹、悪銭も受け取り、千銭を一畚に封じる。ただしこれは秦の法である。
