宋 · お金と社会

五斗の租の田、十四年——南宋の一つの田産訴訟

周村橋頭の田は年租わずか五斗。鄭応瑞と呉八がそれぞれ証文を手に、争いは十四年に及びました。呉八が田を孔主簿に売り、孔主簿がそれを県学へ捨て入れ、代理の県令が来歴を問わずに受け取ります。判官・翁浩堂は二通の干照を並べ、呉八に勘杖一百、県学の榜引は毀抹、干照は鄭応瑞に返すと判じました。

宋 · お金と社会

開池三十九日——宋の春遊びと商い

三月一日に開池し、四月八日に閉じる。岸の彩棚は借りもの、釣りはまず牌子を買い、釣った魚は倍の値で買い戻される。船賃は大小で格差あり。岸の一本の街には酒食、関撲、質庫が並び、質の期限も閉池の日まで。杭州の人はそれゆえ西湖を「銷金鍋児」と呼んだ。

宋 · お金と社会

二十二種の番組表——廟の露台と街を歩く芸人

六月二十四日、汴京の灌口二郎の廟では夜明け前から露台で百戯が始まり、日暮れても終わりません。番組表は二十二種。露台前の幡竿は二本あり、一本は京城所、一本は修内司が建てました。竿に登る芸人は、赦令のとき金鶏竿を登る役も務めます。

宋 · お金と社会

商謎——宋代都市の謎売り

宋代の都市では、謎を当てさせるのが大道の商売でした。まず鼓を打って人を集め、詩謎・字謎・戻謎・社謎を当てさせます。内輪には走智・下套・貼套・横下・問因・調爽の手があり、元宵の絹灯には詩詞や蔵頭隠語が書かれて通行人をからかいました。名を残したのは有帰和尚と馬定斎です。

宋 · お金と社会

四面皆水——臨安の塌房商売

臨安の北関水門の内側に水路があり、慈元殿や富豪・内侍・諸司が水辺に塌房数十棟・屋数千間を建て、舗戸や客商に貸して荷を預けた。四面皆水で風燭と盗難を避け、月ごとに賃料を収め、別に巡廊銭を取って人を雇い夜警させた。

宋 · お金と社会

衣装の本色:服から職業が分かるということ

香舗の裹香人は頂帽披背、質庫の掌事は皂衫角帯——孟元老は開封の街で「是何色目」と見分けられたという。『宋史』は別の体系を書く。庶人は白、工商は皂白のみ、紫は禁。紫衫はもともと軍服だった。観察と法条を読み合わせると、その可読性は南宋末に緩む。

宋 · お金と社会

糖水を仏にかける——四月八日の都市の商い

四月八日の仏誕に、開封の十大禅院は浴仏斎会を開き、香薬の糖水を煎じて贈り合った。臨安では僧尼が小盆と銅像を捧げて富家を巡り「小杓を以て灌ぎ、以て施利を求む」。同じ日、西湖では放生会が開かれ、人々は亀・魚・螺・蚌を争って買い、放した。

唐 · お金と社会

埋める銭から焼く紙へ——唐宋のあいだに紙銭が「銭」になるまで

唐の封演は葬礼で紙銭を鑿ち、銭を山に積んだと記し、古は帛を埋め今は紙銭を皆焼くとも書いた。埋める銭から焼く紙へ、その間に鬼神をめぐる前提がある。『旧唐書』は宮廷で焼かせた王璵を祠祷で上り詰めた幸臣と描き、北宋の中元節は紙銭を節句の商品に変えた。

宋 · お金と社会

千文の銭が七百七十文になる理由:宋の短陌

北宋の開封では、銭千文の「貫」を七百七十文で数えた。官は七十七陌、街市は七十五陌、魚肉菜は七十二陌、金銀は七十四陌、女中奉公と虫買いは六十八陌、文字は五十六陌。同じ一貫が商売によって違う額になり、南宋の臨安では五十陌まで下がった。短陌は帳簿上の約束で、偽造ではない。

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