まず一つの器物から始めよう。鼎、番号 M102∶6、通高 19.8、口径 15.6、腹径 15.9、足高 7.7 センチ、重さ 1718 グラム。丸い口に折り返した縁、二つの橋形の耳、深く丸い腹、三本の柱足、腹の上部に一周三組の目紋帯があり、腹の中には動物の骨がまだ残っている。一点の器物をグラムとセンチまで記す——これが「精細に報告する」ということである。
二十七の墓、詳述は二つ
邵家棚は殷墟の宮殿宗廟区の西北約 2.4 キロにある。2020—2021 年の発掘は約 6700 平方メートルに及び、商周の建築基址 18 カ所、墓葬 27 座、車馬坑 4 座、灰坑 127 個、井戸 3 基を検出した。27 座の商墓のうち、1 座は「中」字形の大型墓、残る 26 座は中小型の竪穴土坑墓である。本文が詳述するのは M102 と M110 の二座だけだ。
残る二十五座は概説の中の数字にしか現れない——ただし二層台 13 座、腰坑 15 座、副葬品 17 座、青銅容器 5 座、土器 7 座という計数は、二十七座全体についてのものである。多くは盗掘されて何も出ておらず、人骨の保存も悪く、墓主が残らないことも多い。少数の墓には殉人と殉犬がある。これらは概説の中の計数であって、墓ごとの登記ではない。だから比率もクロス集計も出せない。簡報には器物登記表がまったくなく、寸法と重量は行文のあちこちに散らばり、器物番号は遺跡自身の「M102∶n」式で、そのまま引用する。
M102
M102 は長方形の竪穴土坑墓で、方向 8 度。口が小さく底が大きい。墓口は長さ 280、北の幅 130、南の幅 145 センチ、底は墓口から 410 センチ。熟土の二層台は幅 22—40、高さ 70 センチ。腰坑は長さ 75、幅 34、深さ 30 センチで、墓底の中央にある。埋土は黄色土に赤褐色土を混ぜ、料礓石を含み、固く突き固めてある。葬具は一棺一槨。槨板は東西方向で、一枚板は長さ 80—95、幅 10 センチ、内側は平らで外側は湾曲し、黄色の漆が塗られていた。棺はひどく朽ち、床板の一部だけが残り、朱砂と黒漆が見える。東西の二層台にはそれぞれ殉人が一人、俯身直肢で頭は北、性別と年齢は不明。槨の上には牛と羊のすね肉が置かれ、腰坑には犬が一匹、頭は北、背は東を向く。墓主の骨は朽ちており、歯から頭が北を向く高齢者と推断されるが、葬式も性別も不明である。
青銅器 10 点(組)。鼎 M102∶6(1718 グラム)、簋 M102∶7(高さ 11 センチ、1242 グラム、内底に銘文)、觚一対 M102∶9 と M102∶10(676 と 734 グラム)、爵一対 M102∶11 と M102∶12(853 と 737 グラム)、紐状の提梁をもつ有蓋の卣 M102∶8(高さ 23.6 センチ、3194 グラム、錆がひどく、蓋は開かず提梁も回らない)、鈴 M102∶1 と M102∶13、そして青銅器残片 M102∶20(一部は矛の残片と判別できる)。
土器 4 点(簋・盆・觚・爵)。うち簋・盆・觚は残りがひどく、復元できない。土器の爵 M102∶5 は口径 8.2、高さ 7 センチ。玉器 2 点(兎 M102∶14、長さ 4.2、高さ 2.4 センチ、鳥 M102∶15、長さ 4.2、幅 2.3 センチ)。砥石 M102∶2 は殉人の腰のあたりから出た。巻貝は三組、43、29、56 枚で、その一組は爵の中にあった。
M110
M110 はより小さく簡素である。長方形の竪穴土坑墓で、方向 205 度。墓口は長さ 230、北の幅 95、南の幅 105 センチ、底は墓口から 340 センチ、墓底は墓口と同じ大きさ。二層台は幅 8—12、高さ 80 センチ。腰坑は長さ 60、幅 45、深さ 30 センチ。葬具は棺一基のみで朽ちており、赤漆と黒漆の痕跡がある。墓主は一人、朽ちて粉末状、頭は南、性別と年齢は記録がない。腰坑には犬が一匹、頭は北、背は東を向く。
副葬品。青銅器 4 点——鈴 2(M110∶18 通高 8.1 センチ、M110∶19 通高 8 センチ)と鏃 2(M110∶15-1 長さ 5.5 センチ、M110∶15-2 長さ 5.4 センチ)。土器 11 点(組):甗 1(M110∶13、口部と鬲部だけが残る)、爵 2(M110∶7 と 14)、觶 1(M110∶6)、罐 4(M110∶1—4)、盤 1(M110∶17)、簋の圏足 1(M110∶5)、破片一組(M110∶9)。ほかに砥石 M110∶20、石器 M110∶12、骨鏃 2(M110∶16)、鏡蛤 2、文蛤 13、海貝 9。位置は、罐・簋・觶・爵・文蛤が墓室の南端にあり、墓主の頭の下から骨錐と石器、腰坑から貝 9 枚が出ている。
二つの墓の読み方
年代は簡報の判断である。M102 は殷墟四期とされ、その鼎は郭家荘 M50 と徐家橋 M1 の器物に比される。M110 は四期の遅い段階とされ、盤は苗圃北地の資料に比される。いずれも同類器物の比較によるもので、科学的な年代測定ではない。だから「簡報はこう断じている」と書くべきである。二つの墓の違いはそのまま記述できる。方向は一つが北、一つが南。一方は棺と槨、他方は棺だけ。青銅器は 10 点対 4 点。礼器と、武器および鳴り物。しかしこれは二座の墓の記述であって、等級の序列ではない。
限界は書き切らねばならない。二つの墓は 27 座を代表しない。まして殷墟を代表しない。二十五座の概説の数字を、墓ごとの計数に作り替えることはできない。簡報が記していないもの——器物、性別、年齢——を補ってはならない。同じ都城の別の一画については、背景を一句だけ許す。大司空村の南東部では 2016—2017 年に商墓 49 座が発掘され、墓葬登記表が付いている。ここで言えるのはそれだけだ。一つは登記表があり、一つは二座を細描した行文しかない——だから器物の数で並べることはできない。大司空の材料は別の記事に属する。本稿は墓主の身分、階層、人口についても書かない。
ここにないもの
欠けているもの。器物登記表がない、逐件の総表もない。M102 の葬式と性別は不明、二人の殉人の性別年齢も不明、M110 の墓主の年齢と性別は記録がない。「高齢」は歯からの推断である。墓主の身分については簡報に推断があるが、本稿は踏み込まない。二十七座についても墓ごとの計数はない——その数字は概説の中にしか存在しない。
だからこの二つの墓が与える記録は、グラムとセンチまで細かい。しかしその範囲は二座だけである。8 度、280、410、一棺一槨、二層台にそれぞれ一人、腰坑に犬一匹、青銅器 10 点。205 度、230、340、棺一つ、青銅器 4 点、鈴と鏃。記録が細かいほど、忘れてはならない。これは二つの墓であって、墓地ではなく、まして一つの時代ではない。
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参考資料・関連文献
- 安阳市文物考古研究院、中国社会科学院考古研究所、北京联合大学《河南安阳殷墟邵家棚遗址 M102、M110 发掘简报》,《中原文物》2026 年第 4 期(总第 250 期)「夏商文明探研」专栏,11 页 PDF(一手发掘简报;维基文库无录文,未与纸本复核) — The primary brief. At Shaojiapeng (about 2.4 km north-west of the palace-temple area) the 2020-2021 excavation covered about 6,700 square metres and cleared 18 building foundations, 27 burials, 4 chariot pits, 127 ash pits and 3 wells. Of the 27 Shang burials — one 'middle'-shaped tomb and 26 small or medium shaft graves — only M102 and M110 are described in detail; the rest appear only in summary counts (13 with second-tier ledges, 15 with waist pits, 17 with grave goods, 5 with bronze vessels, 7 with pottery), and most were robbed. The brief has no register of objects: dimensions and weights are given piece by piece in the text, with object numbers of the form M102∶n quoted as they stand. M102: 8 degrees, mouth 280 cm long, 130-145 cm wide, 410 cm deep, one coffin and one chamber, a human victim on each of the east and west ledges, a dog in the waist pit, ten bronzes (ding M102∶6, 1,718 g; gui M102∶7, 1,242 g; a pair of gu M102∶9-10; a pair of jue M102∶11-12; a you M102∶8, 3,194 g; bells M102∶1 and 13; fragments M102∶20), four pottery vessels, two jades, a whetstone and three groups of shells. M110: 205 degrees, mouth 230 cm long, 95-105 cm wide, 340 cm deep, a single coffin, four bronzes (two bells M110∶18-19, two arrowheads M110∶15-1 and 15-2) and eleven pottery items. The brief dates M102 to Yinxu period IV and M110 to late period IV by comparison of vessels — the author's judgement, not a scientific date.
- 中国社会科学院考古研究所安阳工作队《河南安阳殷墟大司空村东南地 2016—2017 年发掘报告》,《考古学报》2026 年第 3 期,48 页 PDF(一手发掘报告;本稿仅作背景一句) — A primary report from the same capital, used in this article for a single background sentence only: the 2016-2017 excavation at Dasikong village's south-east area, over 3,800 square metres, cleared 49 Shang burials besides 11 house foundations, 2 roads, 2 wells and more than 230 ash pits, and appends a burial register with columns for position, layer relation, orientation, form, chamber size, waist pit, ledge, coffin and chamber, posture, human victims and offerings, grave goods, period and disturbance. Its houses and register belong to a separate article; here it serves only to mark that one site has a register and the other has two graves described in prose, so the two cannot be levelled.




