日々の暮らし · 商から清まで
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身近な問いから、歴史の世界へ。

一枚の銭、一反の布、ひとつの銭缿——秦の律は市で何を定めたか
睡虎地秦簡『関市』に残る律文は一条だけ。代金はその場で銭缿に投げ入れ、支払う人に銭の入るのを見せよという。背けば甲一領の罰。同じ墓から出た『金布律』は、布の法定寸法、銭十一枚=布一反という公定換算、千銭一畚の封印、品物に掛ける値を定めている。

長安人はどう住んだか:百八の坊、僦屋と旅館
「長安居、大不易」は家賃が高い証拠とされてきたが、『幽閑鼓吹』が言うのは米価、『唐摭言』が言うのは百物の値である。話自体も晩唐の作り話かもしれない。長安の家賃は一条も残っておらず、書けるのは坊・宅・僦屋・旅館と、布政坊の地下から出た十字街・曲巷・院落である。

一卓二椅、両壁の宴:金代昔陽墓にしつらえられた一食
山西昔陽の金代磚室墓。西北壁と東北壁にそれぞれ夫婦対坐の宴飲図、棺床の前に木の卓一張と椅二脚が副葬され、出土した瓷碗瓷盤は本来供卓に置かれたものとされる。壁画は喪葬のしつらえで祭祀の意があり、生前の食卓の写実ではない。画に菜名はなく、本稿はそれを補わない。

一晩の勘定、ひとつずつ読み上げる:『老乞大』のなかの一往復の商い
『老乞大』は高麗人が中国語を学ぶ会話教本。一晩の宿代を五百銭から四百五十銭に負けさせ、京の米・面・肉の値は人伝てに聞き、馬の売買は牙人・歯を見る・値段・銀の検め・契約・納税の六段を踏む。だがこれらは例文で、元代の物価統計ではない。

墓壁の備茶図:遼代宣化のひとつの卓と二人
宣化下八里の遼墓、張匡正墓の『備茶図』には客をもてなす一連の所作が描かれる。漢服の女児が継ぎ当てのある膝で茶を碾き、契丹服の小童が頬を膨らませて火を吹き、男侍が爐の上の茶壺に手を伸ばす。卓の下では二匹の小花犬が跳ねる。

三つに割られた田租契約:三国呉簡に見る一県の帳簿
1996年、長沙走馬楼の古井から十万余枚の孫呉簡牘が出土した。うち約2200枚の「嘉禾吏民田家莂」は田租の三聯契約で、頂に大きく「同」字を書き、中央で三つに剖き、官府・監管機構・農家が各一片を保有した。

磚一枚、窖ひとつ:隋唐の国家糧倉はどう記帳したか
縦横33センチの刻銘磚に、蘇州の糙米一万三千石、武則天の通天二年に徴収が始まり聖暦二年十一月八日に入窖したこと、倉史の王亮・監事の張威ら八名の職官の署名が刻まれている。唐代の国家糧倉の入庫証、その一枚である。

十七の節句、一つずつ売る——五代の食肆の一年の品書き
『清異録』は都の閶闔門外に「張手美家」という食肆があったと記す。節句ごとに一品だけを売り、元日の元陽臠、寒食の冬凌粥、七夕の摩睺羅飯、冬至の宜盤、臘八の法王料斗、十七の節令が一年を並べる。

井に投げ込まれた驢馬——北魏洛陽の寺の幻術
北魏洛陽の景楽寺の庭で幻術が演じられた。「驢馬を剥ぎ井に投じ、棗を植え瓜を種う、須臾の間に皆これを食す」、士女は「目乱精迷」;兵乱の後「此の戯遂に隠る」——手の内は書に一字もない。
