『詩経』商頌の「玄鳥」は二句で始まる。「天、玄鳥に命じ、降りて商を生む。殷の広き土に宅せり」(天命玄鳥,降而生商。宅殷土芒芒)。この二句はしばしば商族の起源を記したものとされる。だがページそのものが「一章、二十二句」と記している。読み進めても玄鳥はここに一度出るだけで、商の母も、あの卵も、ついに現れない。

天、玄鳥に命じ、降りて商を生む

詩の運びは速い。二句のあと、すぐに「古の帝、武湯に命じ、彼の四方を正しく定めしむ」(古帝命武湯,正域彼四方)と来る。続いて諸侯に命じて九有を奄有し、商の先王は命を受けて殆からず、その命は武丁の孫子に在る、と続く。さらに「武丁の孫子、武王として勝たざるなし。龍旂十乗、大糦これ承く」——武丁の孫子は武王として何にも勝ち、龍の旗を立てた戦車十乗、大きな供え物の飯を捧げる。後段は「邦畿千里、民の止まる所。肇めて彼の四海を域とす」——王畿は千里、民の止まる所、その先に四海を域とする。そして四海の者が来て参り、殷は命を受くること宜しく、百の福を負う、と閉じる。詩の主体は武湯と武丁、そして邦畿四海であり、起源は冒頭の二句にすぎない。これは祖先を祭る歌であって、起源志ではない。玄鳥が現れるのは冒頭の一度だけ、以後の舞台は武湯と武丁の系統にある。

詩に簡狄はいない

二十二句のうちに母の名はなく、卵もなく、それを呑む話もない。契(せつ)という名さえ出てこない——詩は「商を生む」と言うだけで、契が生まれたとは言わない。これがこの篇で最も見えやすい空白である。祖先を祭る歌にとって、起源を言い切るには「天、玄鳥に命じ」の一句で足りる。母が誰か、卵がどこから来たかは、語らなくてよい。

ページの冒頭に毛詩序の一行がある。「『玄鳥』は高宗を祀るなり」(《玄鳥》,祀高宗也)。これは漢人の書いた序であって、詩の本文ではない。高宗は一般には武丁を指すとされ、このページに注はない。序はこの詩を武丁を祭る時に歌ったものとする。詩の「武丁の孫子」「武王として勝たざるなし」と呼応するが、商頌の成立年代には議論があり、伝統的には商末、春秋の宋の人の作とする説もある。どちらのページも裁断せず、ここでも裁断しない。「玄鳥」が何の鳥かは、一般には燕とされ、ページに注はないので「一般には」と付すしかない。ページ末の「注解」は空で、毛伝も鄭箋も拠るべきものがない。形式についてページが記すのは「一章、二十二句」だけで、毛詩序のほかは楽調も場も語らない。

『史記』が筋を与える

『史記』殷本紀の冒頭は、いきなり一節まるごとである。「殷の契、母を簡狄と曰う。有娀氏の女にして、帝嚳の次妃たり。三人、行浴するとき、玄鳥のその卵を堕とすを見、簡狄、取りてこれを呑み、因りて孕みて契を生む」(殷契,母曰簡狄,有娀氏之女,為帝嚳次妃。三人行浴,見玄鳥墮其卵,簡狄取吞之,因孕生契)。詩の二句が結論として述べたことが、ここでは場所(水辺)と人(三人)と動作(堕つ、取る、呑む)を備えた場面になる。これは前漢の書き方である。司馬遷の『史記』を引き、伝説として読むべき叙述だ。

場面のすぐあとに、功業と身分が続く。「契、長じて禹の治水を佐けて功あり。帝舜、乃ち契に命じて曰く、『百姓親しまず、五品訓まず。汝、司徒として敬みて五教を敷け、五教は寛に在り』と。商に封じ、姓を子氏と賜う」(封于商,賜姓子氏)。契が成人して禹の治水を助けて功があり、帝舜が司徒に任じて五教を敷かせ、商に封じて姓を子氏と賜うた、という。そのあとは世系が延々と続く。契卒し、子の昭明立つ。昭明卒し、子の相土立つ……と、「主癸卒し、子の天乙立つ、是れ成湯なり」まで並ぶ。さらに「契より湯に至るまで八遷」の一句が添う。世系は「卒し、子の某立つ」と、帳簿のように平坦である。神話はここで、官と姓と封地と世系を備えた枠に組み込まれる。これらは史書の配列であって、信史とはしない。

二つのページの間

二ページを並べて読むと、違いはきれいである。詩は結論を与える——「天、玄鳥に命じ、降りて商を生む」。史は筋を与える——「三人行浴し、玄鳥のその卵を堕とすを見、簡狄取りてこれを呑み、因りて孕みて契を生む」。詩に簡狄はなく、史には彼女の父族(有娀氏)も夫(帝嚳)も書いてある。詩に契はなく、史では契が生まれたところから成湯まで並ぶ。同じ一つの事がらを、一方は歌う詞、一方は書く伝として伝える。どちらのページも水辺に地名を与えない。『史記』は「三人行浴」と言うだけで、どこで浴したとは言わない。

もう一点、指摘できる。二ページにはそれぞれ要の一句があり、「商」を別のものに落とす。詩は「商を生む」と言い、史は「商に封ず」と言う。詩は「商」を玄鳥に結び、史は「商」を封地と賜姓に結ぶ。一方は天命、一方は制度で、二ページはそれぞれ半分ずつを与え、どちらも二つの半を一句に合わせてはいない。

境界と空白

肝心なのは、この二つの層を信史として読まないことだ。詩は祖先を祭る歌(毛詩序とその文体から、一般にはそう言われる)、史は漢代の人が書いた本紀である。どちらのページも「商族の起源」の史料にはならない。書けるのは「伝説ではこう言う」までだ。玄鳥すなわち燕、高宗すなわち武丁も、すべて「一般には」と付すほかない。後世の研究にあるトーテムの類の解釈は、この二ページにはなく、ここでも展開しない。「商代の人々は皆これを信じていた」も、材料がないので書かない。簡狄・帝嚳・契の年代はどちらのページにもないので、年表は組まない。

だからこの文章に残るのは、二句の詩と一節の物語である。「天、玄鳥に命じ、降りて商を生む」が起源を一句で言い切り、「三人行浴……因りて孕みて契を生む」が起源を筋に変える。隔たりがどれほどかは分からない。一方は歌う詞、一方は書く伝である。二句と一節を並べれば、どちらが詩でどちらが史かは見えてくる。そもそも「玄鳥」が何の鳥か、詩は玄鳥と呼ぶだけで、「燕」は後人の注にある説である。商人自身がこれをどう語ったかは、どちらのページにも答えがない。

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参考資料・関連文献

  1. 《诗经·商颂·玄鸟》(维基文库本,未与点校本复核) — One stanza, twenty-two lines, with a Han Mao preface at the head: 'Xuan Niao was sung in sacrifice to Gao Zong' (《玄鳥》,祀高宗也). The origin is two lines only: 'Heaven commanded the dark bird; it came down and gave birth to Shang. It dwelt on the broad lands of Yin' (天命玄鳥,降而生商。宅殷土芒芒). The rest goes at once to 'the ancient god commanded Wu Tang to set the four quarters in order' (古帝命武湯,正域彼四方), then to the descendants of Wu Ding (在武丁孫子; 武丁孫子,武王靡不勝), the thousand-li domain and the four seas (邦畿千里……肇域彼四海), and closes 'Yin received the mandate fittingly, a hundred blessings are on it' (殷受命咸宜,百祿是何). There is no Jian Di, no egg and no swallowing in the poem, and not even the name Xie. The page has no Mao or Zheng commentary and the 'annotations' section is empty; the poem's lines sit inside a <poem> block, so text-only extraction can return an empty page.
  2. 《史记》卷三·殷本纪(西汉司马迁;维基文库本,未与点校本复核) — The Han-dynasty narrative that fills out the poem. Opening: 'Xie of Yin: his mother was Jian Di, a woman of the You Song clan and a secondary wife of Di Ku. Three women were bathing when they saw the dark bird drop its egg; Jian Di took it and swallowed it, and conceived Xie' (殷契,母曰簡狄,有娀氏之女,為帝嚳次妃。三人行浴,見玄鳥墮其卵,簡狄取吞之,因孕生契). Then the deeds: Xie helped Yu control the waters; Emperor Shun made him minister of education with the charge to spread the five teachings; 'he was enfeoffed at Shang and given the clan name Zi' (封于商,賜姓子氏); 'Xie rose in the time of Tang, Yu and the great Yu' (契興於唐、虞、大禹之際). Then the genealogy from Xie through Zhao Ming, Xiang Tu and the rest to 'Tian Yi, who was Tang the Completer' (主癸卒,子天乙立,是為成湯), and 'from Xie to Tang, moved eight times' (自契至湯八遷). The page is the whole Yin annals, a Western Han text, not a contemporary Shang record.