『漢書』巻三十「藝文志」は、まず書物がそこへ至るまでの来歴を述べる。孔子の没後は「微言絕」、戦国の諸子は「紛然殽亂」、秦は「燔滅文章」、漢は興って「大收篇籍,廣開獻書之路」、武帝の世には「建藏書之策,置寫書之官」——そして成帝の時、「以書頗散亡,使謁者陳農求遺書於天下」、書がかなり散佚したので謁者の陳農を天下に遣わして遺書を求めさせた。校書が始まるのは、その後のことである。まずテキストの層。この「藝文志」は班固が『七略』から浮雑を刪って要を取ったもので、それ自体が節本である——「今刪其要,以備篇籍」。『七略』の原本はすでに失われている。

四人、四種類の書

分担は原文のまま書き写す。「詔光祿大夫劉向校經傳諸子詩賦,步兵校尉任宏校兵書,太史令尹咸校數術,侍醫李柱國校方技」——詔により、光祿大夫の劉向が經傳・諸子・詩賦を、步兵校尉の任宏が兵書を、太史令の尹咸が數術を、侍醫の李柱國が方技を校する。四人で四つの書だ。經傳と諸子と詩賦、兵書、數術、方技。学問の分野ごとに人を分け、一人が一まとまりを引き受ける。

一人ひとりの仕事は一句だけ。「每一書已,向輒條其篇目,撮其指意,錄而奏之」——一書を校し終えるたび、向はその篇目を列ね、指意をまとめ、錄して奏した。三つの動作で、編目、提要、上奏。劉向が死ぬと「哀帝復使向子侍中奉車都尉歆卒父業」、哀帝はあらためて向の子、侍中奉車都尉の歆に父の業を卒えさせた。歆は「總群書而奏其七略」した。校書がどの閣で行われたか、何人で手をつけたか、どの本を校合したか——この頁には何もない。機構の編制も補わない。

七略——一つの総序と六つの分類

七つの名目はそのまま書き写す。「故有輯略,有六藝略,有諸子略,有詩賦略,有兵書略,有術數略,有方技略」——輯略があり、六藝略があり、諸子略があり、詩賦略があり、兵書略があり、術數略があり、方技略がある。七つの名目だ。押さえておきたいのは、最初の「輯略」は書物の分類ではなく総序の性格をもつ一略と一般に考えられていること。だとすれば分類は後の六つで、七略は七分類ではない。この記事も「一つの総序+六つの分類」として書く。頁は名目を列ねるだけで、七略の原文も各略の界説も与えない。

六つの分類とその総計

各略の末尾には小計がある。六組をそのまま書き写す。六藝は「凡六藝一百三家,三千一百二十三篇」——百三家、三千一百二十三篇。この略の下にはさらに易・書・詩・禮・樂・春秋・論語・孝經・小學の九つの細目がある。諸子は「凡諸子百八十九家,四千三百二十四篇」、詩賦は「凡詩賦百六家,千三百一十八篇」、兵書は「凡兵書五十三家,七百九十篇,圖四十三卷」、數術は「凡數術百九十家,二千五百二十八卷」、方技は「凡方技三十六家,八百六十八卷」。細かい点が二つ。圖の数を記すのは兵書だけで、篇とは別に「圖四十三卷」と數える。數術と方技は「卷」で、残りは「篇」である。篇と卷はこの二頁に並んで現れ、漢志ではふつう両者が混用されていると一般に言われる。ここではどちらもそのまま書き、換算しない。

最後に総計が一行。「大凡書,六略三十八種,五百九十六家,萬三千二百六十九卷」——三十八種、五百九十六家、一万三千二百六十九卷。この一行をそのまま書き、足し引きもせず、割合も出さない。これは「著錄」された数の総計で、刪要本から出たものであり、当時実在した書の数ではない。

その後——七略から四部へ

分類は後になって変わった。その部分は『隋書』「經籍志」にあり、唐の初めの人による追述である。魏の秘書郎の鄭默が「始制《中經》」、秘書監の荀勖が「又因《中經》更著《新簿》,分為四部」した。甲部は「紀六藝及小學等書」、乙部は「有古諸子家、近世子家、兵書、兵家、術數」、丙部は「有史記、舊事、皇覽簿、雜事」、丁部は「有詩賦、圖贊、汲冢書」。「大凡四部合二萬九千九百四十五卷」——四部あわせて二万九千九百四十五卷。史部(丙部)が諸子から独立したのが、四部と七略のいちばん大きな違いである。

さらに後、書はまた減る。東晉の初め、李充が「以勖舊簿校之,其見存者,但有三千一十四卷」——荀勖の舊簿と校合したところ、現存するものはただ三千一十四卷だった。王儉の『七志』は七つの目で、道と佛は「附見」、あわせて「合九條」。阮孝緒の『七錄』は經典・記傳・子兵・文集・技術・佛・道に分ける。唐の初めには「今考見存,分為四部,合條為一萬四千四百六十六部,有八萬九千六百六十六卷」——いま現存を考査して四部に分け、條を合わせて一万四千四百六十六部、八万九千六百六十六卷。これらの数は漢志の一万三千二百六十九卷とは別物である。時代が違い、存佚が違い、「部」「卷」「種」の単位も違う。この記事は『隋志』の叙述に沿って並べるだけで、比べもせず、倍数も出さない。

二頁とも与えないもの

二頁とも、書の値段も、写本の手間と費用も、蔵書楼の具体的な規模や建物も、ふつうの人が何を読んだかも与えない。卷を冊にも字にも換算しない。一万三千二百六十九と八万九千六百六十六を比べない。「中国最古の図書館」「目録学の祖」といった評価も書かない。『七略』の原文は失われ、漢志の節本と隋志の追述だけが残る。この記事は隋志の叙述を漢代の原文として扱わず、後世の書目で漢志の闕を補いもしない。

もう一つ、層の話がある。校書の工程について、この頁が与えるのは「條其篇目,撮其指意,錄而奏之」の三步だけ。校讎、殺青、繕寫といった具体的なやり方は、この二頁にはない。だから補わない。書けるのは、分担、方法、分類、総計の四つである。

分担が一つ、方法が一句、名目が七つ、小計が六組、総計が一行——一つの国家の書棚が、数行の数字に編まれた。後世の四部、七志、七錄は、別の書物の別の叙述で、こことは繫がらない。これらの書がその後どう散り、どう集まったか、『藝文志』は答えない。『隋志』が答えているのは、それ自身の時代のことである。

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参考資料・関連文献

  1. 《汉书》卷三十·艺文志(东汉班固撰;维基文库本,页面白文无注,未与中华书局点校本复核) — Ban Gu's digest of Liu Xin's Seven Epitomes: under Emperor Cheng books had scattered, so the messenger Chen Nong was sent to seek surviving copies; Liu Xiang, a grand master of light, edited the classics, traditions, masters and poetry, Ren Hong the military books, Yin Xian divination and numbers, Li Zhuguo medicine; 'for each book finished, Xiang would list its chapters, summarise its purport, record it and present it'; after his death his son Liu Xin completed the work and presented the Seven Epitomes — the general summary, then the six divisions of the classics, the masters, poetry, military books, numbers and medicine; and 'now I have cut down what is essential, to furnish the record'. The treatise gives the subtotal of each division — 103 schools and 3,123 chapters for the classics; 189 and 4,324 for the masters; 106 and 1,318 for poetry; 53 and 790 chapters with 43 scrolls of diagrams for military books; 190 and 2,528 scrolls for numbers; 36 and 868 scrolls for medicine — and the total: thirty-eight categories, 596 schools, 13,269 chapters and scrolls.
  2. 《隋书》卷三十二·经籍志一(唐魏征等撰;维基文库本,页面白文无注,未与中华书局点校本复核) — A Tang compilation's history of cataloguing, used only as later history: Zheng Mo's Central Register under Wei, Xun Xu's New Register 'divided into four parts' — jia for the classics and lexicography, yi for the old and recent masters with military books and numbers, bing for histories and records, ding for poetry and diagrams — 'altogether the four parts make 29,945 scrolls'; Wang Jian's seven-part catalogue with Buddhism and Daoism appended, 'nine items in all'; Ruan Xiaoxu's seven records; and the Tang count of what survived, '14,466 titles in 89,666 scrolls'. It records, but does not compare across the centuries.