最初の一句は謙遜の言葉である。主人は矢を捧げて言う——「某有枉矢哨壺,請以樂賓」——私には曲がった矢と傾いた壺がございます、これを客の楽しみに供したい、と。「枉」「哨」はどちらも自分の品を貶す字である。この篇は『礼記·投壺』を二つの層に分けて書く。一つは礼の流れ(誰が何を捧げ、どう請い、どう辞し、何を奏するか)、一つは勝負(算、馬、罰の酒)。二つは分けて書き、混ぜない。

一、三請三辞

冒頭、三人がそれぞれ一つずつ持つ——「投壺之禮:主人奉矢,司射奉中,使人執壺」。主人が矢を捧げ、司射が算を入れる「中」を捧げ、別の者に壺を持たせる。そして三度の押し問答。主人が請い、賓が辞し、主人が「敢固以請」と重ね、賓が「敢固辭」と辞し、主人がさらに「不足辭也,敢固以請」と言い、賓は「某固辭不得命,敢不敬從」と受ける。続いて「賓再拜受,主人般還,曰:『辟。』主人阼階上拜送,賓般還,曰:『辟。』已拜,受矢,進即兩楹間。退反位,揖賓就筵」——拝むたび、身をかわすたび、原文はすべて書き留めている。

次に司射が現れる——「司射進度壺,間以二矢半,反位,設中,東面,執八筭,興」。壺の位置を量り、席から「二矢半」の所に置き、中を据え、東を向き、算八本を持って立つ。それから楽を命じる——「命弦者曰:『請奏貍首,間若一。』大師曰:『諾。』」——『貍首』を奏せよ、間隔は均しく、と。最後に「左右告矢具,請拾投」。礼の骨格はこれだけである。誰が何を捧げ、どこに立ち、どれだけ離し、何を奏するか。『貍首』をどう歌い、鼓をどう打つかは、この頁の末尾に〇と□の記号が並ぶだけで、音としては読めない。本篇は引かない。

二、算と馬と罰の酒

勝負の規則も同じ一篇にあり、数句で決まる——「順投爲入,比投不釋,勝飲不勝者。正爵既行,請爲勝者立馬。一馬從二馬,三馬既立,請慶多馬」。まっすぐ投げて入ったものを入りとし、続けざまに投げたものは数えない。勝った側が負けた側に飲ませる。酒が一巡したら、勝った者に「馬」を立て、一馬は二馬に従い、三馬がそろえば馬の多い方を祝う。この数句が本篇の「賭け」の層である。金や物を賭けるのではなく、算と馬と酒を賭ける。

数え方にも決まった言い方がある——「卒投,司射執筭曰:『左右卒投,請數。』二筭爲純,一純以取,一筭爲奇。遂以奇筭告曰:『某賢於某若干純。』奇則曰『奇』,鈞則曰『左右鈞』」。二算で一純、一純ずつ取っていき、余った一本を奇という。報告のときは某が某より何純勝ると言い、端数は奇、等しければ「左右鈞」という。これは原文の数え方と報告の言葉であり、本篇はそのまま写し、現代のスコアには直さない。

罰の酒の動作はさらに細かい——「命酌曰:『請行觴。』酌者曰:『諾。』當飲者皆跪奉觴曰:『賜灌。』勝者跪曰:『敬養。』」。飲む者は跪いて杯を捧げ「賜灌」と言い、勝った者は跪いて「敬養」と言う。続いて「正爵既行,請立馬。馬各直其筭。一馬從二馬,以慶。慶禮曰:『三馬既備,請慶多馬。』賓主皆曰:『諾。』正爵既行,請徹馬」。跪くこと、杯を捧げること、二つの言葉、馬を立てて算に当てること、祝うこと、馬を片づけること——すべて数句のうちにある。

三、器物と寸法

壺の形は原文が寸法を与えている——「壺,頸脩七寸,腹脩五寸,口徑二寸半,容斗五升」。頸は長さ七寸、腹は五寸、口の径は二寸半、容は一斗五升。細部も一つ——「壺中實小豆焉,爲其矢之躍而出也」。壺の中に小豆を入れる。矢が入ると跳ね出るようにするためである。位置にも数がある——「壺去席二矢半」。矢の材は——「矢,以柘若棘,毋去其皮」。柘か棘、皮は剥がない。

籌と算にもそれぞれ寸法がある——「籌,室中五扶,堂上七扶,庭中九扶。筭,長尺二寸」。室・堂・庭の三つの場で、籌はそれぞれ五扶・七扶・九扶、算は長さ一尺二寸。「扶」がどれほどかはこの頁に注がなく、本篇も今の長さに換算しない。尺・寸・斗・升はすべて原文のまま写す。

四、もう一つの頁——昭公十二年

投壺は『左伝』にも一度だけ出てくる。これは別の層のものである——「晉侯以齊侯宴,中行穆子相。投壺。晉侯先,穆子曰:『有酒如淮,有肉如坻。寡君中此,爲諸侯師。』中之。齊侯舉矢曰:『有酒如澠,有肉如陵。寡人中此,與君代興。』亦中之」。二人とも中てたが、二つの祝辞はそれぞれ勝手なことを言っている。一方は「諸侯の師とならん」、他方は「君と代わって興らん」と。あとには伯瑕の批判「子失辭……齊君弱,吾君歸,弗來矣」と、公孫傁の「日旰君勤,可以出矣」の一句があり、齊侯は連れ出される。

これは別に置く。儀注ではなく、宴の上の祝辞と政治である。『礼記』が与えるのは礼文、『左伝』が与えるのはこの一夜の場面と言葉。二頁は並べるだけで、合わせない。また、この一段で『礼記』の儀節を補いもしない——たとえば誰が先に投げたか、壺をどこに置いたか、算をどう数えたかは、この一段には書かれていない。

五、二頁の外

二頁が与えないものを列挙する。壺の材質(寸法と容量だけで、銅か陶か、それ以外かは言わない)、場の広さ、『貍首』の曲、魯鼓と薛鼓の記号の読み方、実物の賭け物(ない)——どれもない。本篇は補わず、「古代の宴飲文化」といった通論も書かない。最後に一句、境界を置く。この篇は礼文と勝負を分けて書き終えたところで止める。投壺が「礼」なのか「賭け」なのかは、『礼記』自身が同じ一篇に両方を書いている。本篇は分類しない。

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参考資料・関連文献

  1. 《礼记·投壶》(维基文库本,未与点校本复核) — The full rite in one chapter: 'the master of the house holds the arrows, the master of archery holds the tally vessel, and someone is made to hold the hu' (主人奉矢,司射奉中,使人執壺); the master's three requests and the guest's three refusals (某有枉矢哨壺,請以樂賓); the master of archery measuring the hu 'two and a half arrows apart' (間以二矢半), setting the tallies, holding eight counters; the order to the musicians, 'play the Lishou, with equal intervals' (請奏貍首,間若一); the scoring (二筭爲純,一純以取,一筭爲奇), the announcement (某賢於某若干純…鈞則曰左右鈞), the wine (當飲者皆跪奉觴曰賜灌,勝者跪曰敬養) and the horses set up to be counted (一馬從二馬,三馬既立,請慶多馬); the measurements — counters 'a foot two inches long' (筭,長尺二寸), the hu 'neck seven inches, belly five inches, mouth two and a half inches, holding a dou and five sheng' (壺,頸脩七寸,腹脩五寸,口徑二寸半,容斗五升), the dried beans inside it 'so that the arrows leap out' (壺中實小豆焉), the hu 'two and a half arrows from the mat', and arrows of zelkova or jujube with the bark left on. The page is marked textquality 75%, and it ends with drum notation in circle-and-square symbols which is not decipherable as notes and is not quoted.
  2. 《春秋左氏传》昭公十二年(维基文库本,未与点校本复核) — A real banquet with a real hu, used as a separate layer: 'the Marquis of Jin was drinking with the Marquis of Qi, and Zhonghang Muzi attended. They threw into the hu. The Marquis of Jin went first; Muzi said: There is wine like the Huai, there is meat like a mound — if our ruler hits this, he will be the model for the feudal lords. He hit it. The Marquis of Qi raised his arrow and said: There is wine like the Mian, there is meat like a hill — if I hit this, I shall rise in your place. He hit it too' (有酒如淮……與君代興). Then the remonstrance of Boxia, Muzi's answer, and Gongshun Sou's 'the sun is late and the ruler is weary; we may go' — a scene about words and precedence, not a ritual text. The page is plain text without Du Yu's commentary.