二つの数を並べると、その差はすぐに見える。ひとつは国の馬を数えた記録である。「馬は二百余万匹に至れり」と。もうひとつは馬一匹を数える。「頭は王たり、方たらんことを欲す。目は丞相たり、光たらんことを欲す。脊は将軍たり、強たらんことを欲す。腹脅は城郭たり、張らんことを欲す。四下は令たり、長たらんことを欲す」——頭は王だから四角であれ、目は丞相だから光れ、脊は将軍だから強くあれ、腹と脇は城郭だから張り出せ、四本の脚は令だから長くあれ、と。前者は史書のなかの牧地の帳簿、後者は農書のなかの相馬の口訣(くけつ)である。

河西の牧地

『魏書』(ぎしょ)食貨志は、この牧地のことを二言で済ませている。「世祖、統万を平らげ、秦隴を定む。河西の水草善きを以て、乃ち以て牧地と為す。畜産滋息し、馬は二百余万匹に至る。橐駝は将に之が半ばならんとし、牛羊は則ち無数」(以河西水草善,乃以為牧地。畜產滋息,馬至二百餘萬匹,橐駝將半之,牛羊則無數)——世祖(せいそ)が統万(とうまん)を平定して秦隴(しんろう)を定め、河西(かせい)の水草がよいのでそこを牧地とした。家畜が殖え、馬は二百余万匹に至り、ラクダはその半分近く、牛と羊は数えきれない、という。これは記録がそう書いているという話であって、現代の国勢調査の数ではない。

同じ一節には、その後のことも書いてある。高祖(こうそ)のとき、河陽(かよう)にも牧場が置かれた。「恒に戎馬十万匹を置き、以て京師の軍警の備えに擬す」——常に軍馬十万匹を置いて、都の警備に備えたのである。毎年、馬は「河西より牧を并州(へいしゅう)に徙し、以て漸く南転せしめ」——河西から并州へ移され、しだいに南へ動かされた。馬が「水土に習いて死傷無からんが為」である。その結果、河西の牧はますます殖えた(河西之牧弥滋矣)。そして最後の一句が衰えである。「正光(せいこう)以後、天下喪乱し、遂に群寇の盗掠する所と為る」——正光以降、天下が乱れ、やがて群盗に奪い掠られた。殖えることと掠られることが、同じ一節に並んでいる。

この数を読むには、三つの注意がいる。第一に、「二百余万」は河西の牧地だけの数であって、国じゅうの馬の数ではない。第二に、ラクダの「将に半ばならんとす」も牛羊の「無数」も概数であり、馬とは桁の違う粗い数である。第三に、「恒に戎馬十万匹を置く」は河陽の常備の軍馬であって、河西の畜産の総数とは同じ勘定に属さず、足し合わせることはできない。そして「河西」がどの範囲を指すのか、牧地がどこまで広がっていたのかには論争があり、この稿は地図を描かない。

帳簿を読む

この一節から読み取れるのは、牧場の性質である。そこは官の土地だったから、史官はその畜産を帳簿に載せることができた。馬は「匹」で、ラクダは「将に半ば」で、牛と羊は「無数」で数えられている——家畜の種類によって、登録の精度が違う。そして毎年牧を移している——囲いのある固定した馬場ではなく、水と草を追って動く牧地だったということだ。南へ動かしたのは、馬が水土を変えるときに死なないようにするためであった。

そこから読み取れないのは、次のようなことである。ある一年の正確な頭数——「滋息」は過程を語る語で、ある年の調査ではない。一戸あたりの馬の数——対応する戸口の数がない。国の馬政の全体——ここは河西の一牧地であって、ほかに河陽がある。そして数そのものには「記録によれば」という言葉が要る。それは史官が書いた数であって、朝廷に届けられた受領書ではない。

一匹をどう飼うか

『斉民要術』(せいみんようじゅつ)の第六巻は、牛・馬・ロバ・ラバのことを書いている。冒頭に原則が出る。「牛に服し馬に乗るには、その力能を量る。寒温の飲飼は、その天性に適せよ。肥充繁息せざる者は、未だ之れ有らざるなり」(服牛乘馬,量其力能;寒溫飲飼,適其天性)——牛を車に服わせ馬に乗るには力に応じて用い、寒暑に応じて飲ませ飼い、その天性に合わせる。そうして肥え太り殖えないという例はない、と。次に相馬の口訣が来る。頭は四角、目は光り、脊は強く、腹脇は張り、四本の脚は長いこと。そして「凡そ馬を相するの法は、先ず三羸五駑(さんるいごど)を除き、乃ち其の余を相す」——まず三羸と五駑を取り除き、それから残りを見る。三羸とは、頭が大きく頸が細いこと、脊が弱く腹が大きいこと、脛が細く蹄が大きいこと。五駑とは、頭が大きく耳が垂れること、頸が長く曲がらないこと、上が短く下が長いこと、腰が大きく肋が短いこと、尻が浅く腿が薄いこと。それを除いてから、残ったものを見るのである。

飼い方はもっと具体的である。「食に三芻(さんすう、三種のまぐさ)あり、飲に三時あり」(食有三芻,飲有三時)。三芻とは悪芻・中芻・善芻。「善とは、飢えたる時には悪芻を与え、飽きたる時には善芻を与え、之を引いて食わしめ、食して常に飽かば、則ち肥えざるは無し」——空腹のときには粗い草を、満ちているときにはよい草を与え、食が進むよう導く。いつも満ち足りていれば肥えないことはない、という。三時とは「朝の飲は少なく、昼の飲は胸に満つるまで、暮れには極めて飲ませる」——朝は少し、昼は胸が満ちるまで、夕は思うさま飲ませる。さらに「十日に一たび放ち、其れをして陸梁舒展せしめよ」——十日に一度は外へ放し、走らせて伸びをさせる。そうして馬の筋骨は鍛えられる。

治病にまで処方がある。喉が腫れて死にそうなときは、「刀を纏いて鋒刃を一寸露わにし、咽喉を刺し、潰破せしむれば即ち癒ゆ」——刃を一寸だけ出して包み、喉を刺して破らせれば治る、という。黒汗には、馬糞と人の髪を焼いて鼻に煙を当てる。中熱には、大豆を煮て熱い飯とともに与える。汗凌には、豆豉(とうし)をよい酒に漬けて汁を絞り、口に灌ぐ。疥癬には、雄黄と髪を豚の脂で煎じて塗る。農書の実用の層は、ここまで細かい。

二つの層

帳簿と農書は、二種類の材料である。ひとつは官の牧場の畜産を記し、ひとつは馬一匹の見立てと治療を記す。互いに証明しない——二百余万匹から「各戸に一頭」は出てこないし、農書も牧場の規模を証明しない。数には「記録によれば」が要り、技はそのまま真似ることができる。これが二つのテキストの違いである。

もう一層ある。この二つの頁では、馬はどちらでも「力」であり「産」である。史書が問うのは何匹いたか、戦に足りたかどうか。農書が問うのはどう見るか、どう飼うか、どう治すか。前者は国家の帳簿、後者は牧人の手仕事であり、二つを並べてはじめて、「二百余万匹」の後ろに何があるかが見える。冬を越え、水土を変え、喉の腫れを治さねばならぬ、無数の一匹ずつがいるのだ。

ここにないもの

欠けているのは次のものだ。牧場の面積と境界(論争があり、地図は描かない)。馬の年間の増加数と死亡数。官牧と民間の比率。馬の値段。「二百余万」の統計の方法。どちらの頁にもない。だからこの稿が書くのは、一つの牧地の記録と一つの農書であって、北魏の馬政の全体ではない。

一つの数と、一つの技。片側には「馬は二百余万匹に至れり」、もう片側には「頭は王、目は丞相」。前者には「記録によれば」が要る。後者はそのまま真似ることができる。この二頁を読むときは、二つの声を分けておくのがよい——史官が帳簿を報告しており、牧人が弟子に教えている。

関連記事:一里四方を九つに割る——紙の上の孟子の井田 · 九州、二つの台帳――『禹貢』の貢物リスト · 重罪十条――『隋書』刑法志に読む北斉の律

参考資料・関連文献

  1. 《魏书》卷一百一十·食货志(北齐魏收撰;维基文库本,未与点校本复核) — The register passage, to be quoted as what the history records. After Emperor Shizu pacified Tongwan and settled Qin and Long, 'because the grass and water west of the Yellow River were good, he made it pasture land. The herds multiplied: horses reached more than two million, camels nearly half that, cattle and sheep beyond counting' (以河西水草善,乃以為牧地。畜產滋息,馬至二百餘萬匹,橐駝將半之,牛羊則無數). It then records that under Emperor Gaozu a pasture was also made at Heyang, 'constantly holding a hundred thousand army horses against alarms at the capital', and that every year horses were moved from the western pasture to Bingzhou, gradually southward, 'so that they might grow used to the water and soil and not die'; the western herds then 'multiplied the more'. Finally: after Zhengguang, with the realm in disorder, they were 'stolen and plundered by the various bandits'. The passage gives no boundaries for the pasture, no rate of increase and no price.
  2. 《齐民要术》卷第六·养牛马驴骡第五十六(北魏贾思勰撰;维基文库本,未与点校本复核) — The practical manual, a different kind of text. It opens: 'Drive oxen and ride horses by measuring their strength; feed and water them warm or cold according to their nature — and if they do not grow fat and multiply, there is no such case' (服牛乘馬,量其力能;寒溫飲飼,適其天性). On judging a horse: 'the head is the king, it should be square; the eye is the chancellor, it should be bright; the spine is the general, it should be strong; the belly and flanks are the city wall, they should be stretched; the four legs are the magistrate, they should be long' (頭為王…四下為令). The method first rejects 'three weaknesses' and 'five jades' (三羸五駑) — a big head with a thin neck, a weak spine with a big belly, thin shins with big hooves; a big head with slack ears, a long neck that does not bend, short above and long below, big hips with short ribs, shallow hips with thin thighs — and judges the rest. On feeding: 'food has three kinds of hay, drink has three times' (食有三芻,飲有三時): bad, middle and good hay, with good hay given when hungry and bad when full; morning drink little, midday drink until the chest is satisfied, evening drink to the full. It also gives remedies: for a swollen throat, a knife blade laid bare an inch and thrust into the throat; for black sweat, burning horse dung and human hair under the nose; for heat, boiled beans and hot rice; for sweat-chill, fermented beans steeped in good wine poured into the mouth; for mange, realgar and hair fried in pig fat.