『儀礼(Yili、礼の書)』のなかに、いま読んでもはっとする場面がある。加冠が終わると、若者は干し肉を手に取り、西の階を降りて東の壁へ進み、北を向いて母に会う——「母は拝してこれを受け、子は拝してこれを送り、母はまた拝す」(母拜受,子拜送,母又拜)。その日の前には、この所作は起こらない。その日の後には、それが当たり前になる。
まず日を選び、次に賓を選ぶ
準備は儀式より長い。まず占いで日を選ぶ(筮日)。三日前に、加冠を執り行う賓を同じ方法で選ぶ(筮賓,如求日之儀)。次に賓を正式に招いて宿泊させ、前日の夕方、廟門の外で時刻を定める。宰が「質明行事」——夜明けとともに執り行う——と告げる。招きの言葉は簡潔だ。「某に子某あり。まさにその首に布を加えんとす。願わくは吾子、これを教えたまえ」(某有子某,將加布於其首,願吾子之教之也)。礼書はこの大事を、最も即物的な行為で呼ぶ。頭に布を加える、と。
冠礼の意義を説く文章は、なぜ選定にこれほど手間をかけるかを説明する。「古えの冠礼は、日を筮し賓を筮す。冠事を敬する所以なり。冠事を敬するは礼を重んずる所以なり。礼を重んずるは国の本と為す所以なり」(筮日、筮賓,所以敬冠事。敬冠事所以重禮,重禮所以爲國本也)。そして祖廟で行う理由は、「冠を重んずるがゆえにこれを廟に行う。……自ら卑しみて先祖を尊ぶ所以なり」(所以自卑而尊先祖也)。家の事を祖廟のなかに置くことで、これは家だけの事ではない、と言っている。
三加(三度の加冠)
当日はまず衣服を並べる。部屋の西の壁ぎわに。爵弁服(纁裳、純衣、緇帯、韎韐)、皮弁服(素積、緇帯、素韠)、玄端(玄裳・黄裳・雑裳のいずれも可)、緇布冠(欠項、青組の纓)。さらに緇纚、皮弁笄と爵弁笄、櫛、蒲の筵二枚、醴の壺、勺・觶・角柶、干し肉と醢。三つの冠はそれぞれ竹の器に入れ、階の下で捧げ持って待つ。
加冠は三度、そのたびに一つの冠、一揃いの服、一つの祝辞がある。最初は緇布冠(しぶかん、黒い布の冠)。祝辞はこうだ。「令月吉日、始めて元服を加う。爾の幼志を棄て、爾の成徳に順え。長寿と吉祥、爾に景福を加えよ」(令月吉日,始加元服。棄爾幼志,順爾成德)。二度目は皮弁(ひべん、革の冠)。「吉月令辰、乃ち爾の服を申ぶ。爾の威儀を敬し、淑やかに爾の徳を慎め。眉寿万年、永く胡福を受けよ」。三度目は爵弁(しゃくべん、爵色の冠)。「歳の正を以て、月の令を以て、咸く爾の服を加う。兄弟具に在り、以て厥の徳を成せ。黄耇、疆り無し、天の慶を受けよ」。冠は一度ごとに尊くなっていく。篇末の「記」がこれを「三加弥尊」(三加弥々尊し)と呼ぶ所以だ。
続いて一觶の甘醴。「甘醴惟れ厚し、嘉薦令芳たり。拝して受けこれを祭り、以て爾の祥を定めよ。天の休を受け、寿考忘れず」。醴を用いない場合は「醮」として酒を用い、別の醮辞がある——一つの礼書のなかに二つの手順が並存している。次に賓が冠者に字(zi、あざな)を与える。字辞は「礼儀既に備わり、令月吉日、昭らかに爾の字を告ぐ……曰く伯某甫」という具合で、伯・仲・叔・季の排行によって字も変わる。それから順に人に会う。母、兄弟、賛者、姑と姉に会い、玄冠玄端に着替えて贄を執って国君に会い、さらに郷大夫・郷先生に会う。
「成人の道」
文章はこの一連の所作を一つの言葉に圧縮する。「既に冠してこれを字す、成人の道なり」(已冠而字之,成人之道也)。なぜ母は拝するのか。「成人としてこれと礼を為すなり」(成人而與爲禮也)——これ以後、母と子のあいだも成人の礼で行われる。さらに一歩踏み込み、全篇で最も重い一句を置く。「人を成人せしむるは、将に成人の礼を責めんとするなり。成人の礼を責むるは、将に人子・人弟・人臣・人少者たるの礼を行わんことを責めんとするなり」(成人之者,將責成人禮焉也…)。結論はこうだ。「孝弟忠順の行立ちて、而る後に人と為るべし」(孝弟忠順之行立,而後可以爲人)。
だからこの儀式は大人になったことを祝うものではなく、人に義務を負わせるものだ。冠はただの目印にすぎない。このことは二つの書物の違いに最もよく現れる。同じ「三加弥尊」という一句を、礼書の篇末の記は「その志を論ずるなり」(論其志也)と説き、文章のほうは「成る所あるを加うるなり」(加有成也)と説く。儀節の一句に二つの解釈——手順の書と義理の書は、一つの文章として読むことはできない。
誰のために書かれた儀式
この礼書は「士」のための儀式である。篇末の記は明快だ。「大夫に冠礼無く、而して其の昏礼有り。古えは五十にして後に爵す。何ぞ大夫の冠礼有らんや」(無大夫冠禮…古者五十而後爵)。公や侯に冠礼があるのは、夏の末の世になってからだ。そして、「天子の元子も、なお士なり。天下に生まれながらにして貴き者なし」(天子之元子,猶士也,天下無生而貴者也)。これがこの書物の立場を一言で言い尽くしている。士という身分のための儀礼のテキストであって、万人の習俗を記したものではない。
年齢についても一言。二つのページはどちらも年を記さない。「二十にして冠す」は他の礼書の篇の規定であって、ここで用いた二つのページにはない。実際に冠を加えた年齢は各時代で一律ではなく、この文章はそれを決めない。二つのページが冠を「礼の始め」と呼び、加冠の後を「成人の道」と呼ぶのは、何歳かではなく、加冠という一歩が人の一生のどこに位置するかを問題にしているからだ。
ここにないもの
実際に行われた記録は一つもない。年も、場所も、人名もなく、どれだけの家が実行したかもわからない。冠の名と服制は、篇のなかでも食い違っている。記には「委貌は周の道、章甫は殷の道、毌追は夏后氏の道」とあり、また「周の弁、殷の冔、夏の収」とあって、三代それぞれに冠の名がある。「三王は皮弁素積を共にす」ともいい、醴と醮はまた二つの手順だ。異文と異制は、ここでは併記したまま、一つに合わせない。だからこの文章が書いているのは「礼書の語る冠礼」——一歩ずつ書き留められた儀式であって、「周代の人々はみなこうして成人した」ということではない。
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参考資料・関連文献
- 《仪礼·士冠礼》(战国至汉初成书;维基文库本,未与点校本复核) — The ritual manual itself, step by step. The day and the guest are chosen by divination (筮日;前期三日,筮賓,如求日之儀), the guest is invited and lodged, and the hour is set by the steward: 'act at full daylight' (質明行事). The invitation says 'I have a son, so-and-so; I am about to add cloth to his head; I wish you, sir, to instruct him' (某有子某,將加布於其首,願吾子之教之也). The clothes to be worn are laid out in the room: the jue-bian robes, the pi-bian robes, the dark xuan-duan, and the black cloth cap with its black silk band. The candidate is capped three times — black cloth cap, then leather cap (皮弁), then the jue cap (爵弁) — each with a blessing, of which the first begins 'A lucky month and a lucky day: first we add the primary garment; cast off your childish will, follow your accomplished virtue.' A cup of sweet wine (or, if not wine, the jiao variant) follows, then the guest gives him his courtesy name (字), then he is presented to his mother, brothers, the assistants, his aunts and elder sisters, changes into dark cap and dark robe, and is presented to his lord, the great officers of the district and the village elders. The closing 'notes' (記) add: 'the three caps grow more honoured each time — this is to discuss his intentions'; 'there is no capping rite for great officers'; 'the eldest son of the Son of Heaven is still a shi — under heaven no one is noble at birth'.
- 《礼记·冠义》(战国至汉初成书;维基文库本,未与点校本复核) — A short essay on the meaning of the rite, with no procedure of its own. It argues that 'the capping is the beginning of ritual' (冠者,禮之始也) because only after capping is dress complete, and only then are bearing, expression and speech correct; that the ancients divined the day and the guest 'to respect the capping, and respecting it to honour ritual, and honouring ritual as the root of the state'; that capping on the eastern steps marks succession, the cup at the guest's place and the three caps mark accomplishment, and the giving of the courtesy name is 'the way of the adult'; that when he is presented to his mother she bows to him, 'for he is an adult and is treated with ritual'. Then the essay's key move: 'to make him an adult is to hold him to adult ritual' — the duties of son, younger brother, subject and junior — and 'only when the conduct of filial piety, fraternal duty, loyalty and compliance is established can a man be a man'.




