日々の暮らし · 商から清まで
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身近な問いから、歴史の世界へ。

行老と牙嫂:宋代の町はどう人を雇ったか
宋代の町で人を雇うには仲介が要った。解庫の掌事、酒肆の博士、料理人、轎番はそれぞれの「行老」が差配し、女使は牙人が連れてくる。雇った者が逃げれば、保識人を追って人を出させた。

中秋——売り切れた酒と、一夜の江
中秋前、開封の酒店は彩楼を組み直し、画竿に醉仙旗を掲げて新酒を売った。市民が争って飲み、午未の間にはどの店にも酒がなくなり、望子を引き下ろす。夜は貴家が台榭を飾り、民は酒楼を争って月を玩び、夜市は暁まで続いた。臨安の江には羊皮の小水灯数十万盞が浮かんだ。

泥と絹と金——宋の七夕の土人形「磨喝楽」
七夕の前、開封の瓦舎や馬行街では「磨喝楽」と呼ばれる小さな泥人形が売られた。彫木の台に紅紗の籠、金珠翡翠をまとう。一対で数千文のものもあり、南宋には修内司が年に十卓・三百枚を献じた。

棚のなかの説話人:宋代の瓦舎と書場
北宋開封の瓦舎では、説話が四家数に分かれ、それぞれに門庭があった。小説人は煙粉・霊怪・公案を語り、講史人は『三分』『五代史』を語る。霍四究は三国を、尹常売は五代を語り、講史の名手・王六大夫はもと御前供話だった。孟元老はただ一句を残す——風雨寒暑を問わず、諸棚の見物人は日々かくのごとし。

吟叫百端——宋の街の呼び声はどう宮調に入ったか
北宋の汴京では、夜明け前に薬や食べ物を売る者が「吟叫百端」と謳った。呼び声はやがて宮調に採り入れられ「叫声」という語り芸になった。臨安には吟叫で食う芸人が六人、少女の「像生叫声社」もあった。

露台の懸賞:宋の職業相撲
宋の相撲はまっとうな商売だった。瓦市の路岐人がまず女飐に套子を打たせて客を集め、力士が争交する。護国寺南高峰の露台の頭賞は旗帳・銀盆・彩段・錦襖・官会・馬匹の六品。宮中の内等子は定員百二十名、三年に一度、殿上で呈試した。

「不着業次」:南宋臨安の閑人はどう食ったか
南宋臨安の「閑人」は、富家の子弟に付き添う食客から、虫を教え水芸を弄ぶ雑手、刀鑷を携えて宅院に出入りする涉児、香を献じて銭を乞う廝波まで。その下に「游手」——美人局と白日賊。

百二十文と十文——宋五嫂の魚羹と名店の値段
開封十六夜、周待詔の瓠羹は御前で百二十文足、市の店では十文。臨安の宋五嫂の魚羹は皇帝に味わわれ、人が群がり、富んだ婆さまになった。名店の値段は、どの層で高いのか。

婚礼は借り物で——宋の都の宴会レンタル
南宋の臨安では、婚礼の椅子も酒器も首飾りも衣服も、そして轎まで借りられた。四司六局という専門の一座が役を分け、主家は指図するだけ。借り物の体面が、都市のサービス業を支えていた。
