8 · 記事条件を解除 ×
明 · 日々の暮らし

皇后が書き、母が語り、史官が認めた——明代の女性をめぐる三つの語り口

皇后は女性の振る舞いを二十篇に区分し、母は女には数百字で足りると言い、史官は表彰が選び出したものだと認めた。三つのテキストはそれぞれの位置で語るだけで、どれも「明代の女性」そのものではない。

明 · 日々の暮らし

石ひとつと六斗の米:明代の読書人はどう始めたか

社学、府州県学、廩米、歳考六等——明代の読書人はどの段から始めたのか。清修の『明史』は規定と定員を書き、あわせて規定がどう空回りしたかも書き留めた。

明 · 日々の暮らし

普通の人は何色を着られたか:明代の布・染料・そして一条の罰則

『天工開物』は三十余色の配合を書き残す。大紅も蓮紅も玄色も月白も、染料と助剤の分両である。『大明律』が扱うのは等級と禁色だ。布は貴賤を分けないが、色には別の帳簿があり、二つの帳簿は合わない。

明 · 日々の暮らし

一着の衣に二本の角:明代の服色・補子・等級

嘉靖十六年、兵部尚書の張瓚が蟒袍で入朝し、皇帝は一目で見抜いた。「飛魚に何ぞ両角あらん」。明代は補子・冠梁・袍色・帯で人を等級に钉づけた。文官は仙鶴から鶉まで、武官は獅子から海馬まで、商賈は絹布に止め、染坊まで連坐させた。だがこれは規定であって、街の実況ではない。

明 · お金と社会

北京から南京へ:徽州商人の路程書

徽州休寧の黄汴は、父兄とともに二十七年商いをしながら、道の里数・険所・盗賊の有無を八巻『一統路程図記』に書き留めた。北京会同館から南京龍江駅まで南下、潼関から連雲桟を経て成都まで四千三百二十里、山海関から順義まで十六駅・一程六十里。脚価も宿銭もない。

明 · お金と社会

苕箒十五把、七分五厘:万暦宛平県の一冊の帳簿

万暦年間、宛平県の知県・沈榜は、県が壇廟・陵園・宮府に納める品を一項ずつ帳簿に記した。苕箒十五把で七分五厘、太廟正祭の宛平負担は約三百九十七両、鋪行九則の徴銀、永楽初の七十五里が万暦には五十里に。これは採辦価と差役折銀であり、小売の市価ではない。

明 · 都市と技術

黄泥水をかける:明の時代、黒糖を白糖にする法

『天工開物』の造白糖は、蔗汁を煎じて濃くし黒沙に凝らせ、上広下尖・底に小孔のある瓦溜に詰め、栓を抜いて黄泥水を淋ぐ。黒滓は下の缸に落ち、溜の中は白霜となる。最上層は厚さ五寸で「洋糖」。白糖は五品。洋糖を煎り溶かし、卵白で澄ませ、竹の篾で結晶させれば氷糖。

明 · 都市と技術

一更三点ののち——明代の北京は誰が動かしていたのか

明代の北京には、市政を一手に担う役所はありませんでした。一更三点の鐘が静まれば街は歩けなくなり、坊と舗を束ねる総甲が灯を提げて夜を巡り、房号を催促し、溝をさらえさせました。官が建てた廊房は八百一間半、街の秤は三日ごとに校められ、銭も人も台帳で割り当てられていました。