唐代の官道には、三十里ごとに一つの駅があった。『唐六典』巻五によれば、天下に「一千六百三十有九所」。官道以外の支路で三十里ごとに置かれるものは駅とは呼ばず、『通典』によれば「其の通途大路に非ざれば則ち館と曰う」。駅には駅長があり、馬があり、水駅には船がある。旅人は門に着くと、まず券を一枚出さねばならない。
一、三十里一駅:二つの総数
『唐六典』駕部郎中の条文は整っている。「凡そ三十里に一駅、天下凡そ一千六百三十有九所。」下に分類を注す。水駅二百六十所、陸駅一千二百九十七所、水陸相兼八十六所。条文はまた余地を残す。「若し地勢険阻にして及び水草に依るを須うる所は、必ずしも三十里ならず」——山河が道を遮る所では、三十里の線は変わりうる。三十里という数は駅にだけ用いられたのではない。烽候もまた「大率相去ること三十里」であり、互いに望見できるようにするためであった。
しかし帳尻は合わない。一つは分類の合計。二百六十に一千二百九十七を加え、八十六を加えると一千六百四十三となり、総数一千六百三十九より四所多い。二つは両書の総数の違い。『通典』は「凡そ天下の水陸駅一千五百八十七」と言い、『唐六典』より五十二所少ない。両書は五十余年隔てており、数に増減があっても不思議はないが、両書とも説明を与えていない。本稿は二つの総数を並べ、調和させない。分類と総数のこの四所の差は、伝写の誤りかもしれないが、本稿は字を改めない。
二、一駅に馬はいくつ
馬数は等級によって配される。『唐六典』「毎駅皆な駅長一人を置き、駅の閑要を量りて其の馬数を定む。都亭七十五疋、諸道の第一等は都亭より十五を減じ、第二、第三は皆な十五を以て差と為し、第四は十二を減じ、第五は六を減じ、第六は四を減じ、其の馬は官給す。」都亭は京師の所在する駅で、七十五匹が最高。下るごとに一等は十五を減じ、第四等で減十二に変わり、第五等は六、第六等は四。この文義から推せば、六等はおおよそ七十五、六十、四十五、三十、十八、十二、八匹となる——これは原文から推したものであり、原文は基準と減数のみを与え、各等の実数は与えない。
条文は細部にも及ぶ。山阪険峻の地と江南・嶺南の暑湿で大馬に適さない所は「兼ねて蜀馬を置く」。水駅は閑忙によって船を置き、「事繁なる者は毎駅四隻、閑なる者は三隻、更に閑なる者は二隻」。「凡そ馬三名に丁一人を与え、船一には丁三人を与う」。各駅は「皆な銭を給して以て之を資け、什物は並びに皆な市を為す」——駅の日常の費用は銭に換え、雑物は自分で買う。京師には別に「承直馬」八十匹があり、毎日備えて雑使に供した。同じ条には諸司の備運の車も記される。司農など一千二十一乗、将作監三百四十五乗、殿中省尚乗局一百乗、少府監六十三乗、下って一、二乗の役所に至るまで、牛数は倍にする。
三、誰に駅を使う資格があるか
駅は旅館ではない。駅に泊まるには券がいる。『唐六典』「凡そ駅に乗る者は、京に在りては門下に於いて券を給し、外に在りては留守及び諸軍・州に於いて券を給す。若し駅に乗りて留守及び五軍都督府を経過する者は、長官押署す。若し給すべからざる者は、即ち随って之を停む。」券は門下省か地方の留守・軍・州が発し、留守と都督府を通る場合は長官が押署する。規定に合わぬ者は、駅がその場で止められる。この条は全篇で最も硬い一句である。駅を使う権利は券に書かれ、銭には書かれていない。
駅を誰が管するかについて、『通典』は一つの変化を記す。「駅には各々将あり、州里の富強の家を以て之を主とし、以て行李を待す。至徳の後より、民貧しくして命に堪えず、遂に官司を以て掌らしむ。」——まず州県の富強の家から人を出して駅将とし、往き来する使者を接待させた。至徳(756—758)以後、民が貧しくて支えきれなくなり、官司が直接管掌するようになった。「以て行李を待す」の四字も、駅の用途をはっきりさせる。接待するのは「行李」、すなわち奉使して出行する者である。
四、両京の間、材料はどこまでか
両京の間に具体的にいくつの駅があったか、一日にいくつの駅を行くか、文書が幾日で届くか——この二書にはない。『唐六典』は「三十里一駅」の総原則と天下の総数のみを与え、『通典』も総数と駅将の制度のみを与え、両京間の駅数・里程・行程の規定は与えない。本稿は『元和郡県図志』で駅址を逆算しない——あれは地理の書であって、駅伝の簿ではない。また「一日にいくつの駅」という具体的な日程も作らない。『通典』のこの条は州郡・郷官の末に記されており、駅は書のなかで地方官制の下に置かれている。
普通の行人がどう行ったかも、この二書にはない。駅が接待するのは券を持つ使者であり、私人の客舎・旅店・脚店は、この二段の条文には一つもない。だから本稿は「駅は官用」までを書き、唐代の旅店の値段・寝台・体験は書かない——材料がないから補わない。「以て行李を待す」はこの二書で使用者を明言する唯一の一句であり、指すのは奉使の者である。
五、規定と実際
条文と実際も分けねばならない。『唐六典』は開元の制度条文で、「かくあるべき」を書く。『通典』は制度の彙編で、「後にどう変わったか」(駅将が富戸から官司へ)という層を多く記す。条文が「馬三名に丁一人」と言うからといって、どの駅も実際に定員どおりだったわけではない。条文が「給すべからざる者は即ち随って之を停む」と言うからといって、どの駅長も権勢ある旅人を止める勇気があったわけではない。実際の運営の記録は、この二書はほとんど与えない。「馬三名に丁一人」から推せば、七十五匹の都亭には二十五名の馬夫がいることになる——条文自身が、検証できる用工の数を与えている。
あの官道に戻ろう。三十里に一駅、駅に駅長が一人、数十匹の馬、船と水夫があり、来る者はまず券を差し出す。条文は定規で引いたように整っているが、帳尻は揃わない。分類の合計は一千六百四十三、総数は一千六百三十九と書き、別の書はまた一千五百八十七と書く。規定は一句で書き終えられる。駅の実数は永遠に数所ずれている——この篇が与えられるのは、正確に測られ、しかも揃わない、この一本の物差しである。
参考資料・関連文献
- 《唐六典》卷五·尚书兵部·驾部郎中(唐李林甫等撰;维基文库) — The Kaiyuan institutional code, a statute and not a travel diary: one station every thirty li, 1,639 stations in all, of which 260 water, 1,297 land and 86 mixed; where terrain or water and grass require it, not necessarily thirty li. Horse quotas by grade, from the capital station's 75 down by fixed steps; three horses to one keeper, one boat to three; each station funded with cash and buying its own equipment. Passes: issued at the gate of the Chancellery in the capital, by the regent or the military commands outside it; a station may refuse anyone not entitled.
- 《通典》卷三十三·职官十五·州郡下·乡官(唐杜佑撰;维基文库) — A Tang compendium of institutions, with a note on change: one station every thirty li, and where the road is not a main highway the station is called a hostel; each station had a master drawn from the wealthy households of the district, to receive travellers; after the Zhide era, when the people were too poor to bear it, officials took the stations over; the total given is 1,587 water and land stations, which does not match the 1,639 of the code.




