最も奇妙な一句をまず置く——「有人曰王亥,兩手操鳥,方食其頭」。一人の人が両手に鳥を持ち、その頭を食べている。これが『山海経·大荒東経』における王亥の登場である——叙述の冒頭ではなく、一つの族(困民国)の条目に挟まり、東方の大荒の諸国・諸怪と並んでいる。この一篇は一つのことだけをする。王亥(あるいは彼かもしれない人物)を書いた三処のテキストを並べ、それぞれの性質を記し、一つの伝記に縫い合わせない。
一、『山海経』——鳥を操り、牛を託し、殺される
原句は続いている——「有困民國,勾姓,黍食。有人曰王亥,兩手操鳥,方食其頭。王亥托于有易、河伯僕牛。有易殺王亥,取僕牛」。さらに一段ある——「河伯念有易,有易潛出,為國于獸,方食之,名曰搖民。帝舜生戲,戲生搖民」。この頁の筆法は一句一事、説明しない。帝舜の後裔がなぜ有易と同じ段にあるのかさえ述べない。本篇はそのまま録し、因果も補わない。
名物は原文のまま置く——「有易」「河伯」「僕牛」。本頁の正文はこれだけであり、僕牛が牛なのか人なのかを言わず、有易がどこにあるかを言わず、王亥がなぜ彼らに「托于」したかも言わない。頁内には編者の加えた異読(「河伯」の一作「河」など)も挟まるが、それは録文の標記であって原文ではなく、本篇が引くのは正文だけである。
二、『竹書紀年』輯本——一句の編年材料
第二処は『古本竹書紀年輯校』から。この頁は原書ではなく、他の書に引かれた『紀年』の文字を一条ずつ書き戻し、それぞれ出処を注したものである。この条は「無年世可系者」の下に収められている——「殷王子亥賓于有易而淫焉,有易之君綿臣殺而放之,故殷主甲微假帥于河伯以伐有易,滅之,遂殺其君綿臣」。注に、これが『山海経·大荒東経』の注から出たもの、と説明がある——つまり注家が『紀年』を引いたその一句である。だからこの層は「編年」であっても、また一手を経ている。
『山海経』と対読すると、増えているものが三つある。有易の君の名「綿臣」、王亥が殺された由「賓于有易而淫焉」、そして後の復讐——甲微が河伯から兵を借り、有易を滅ぼし、綿臣を殺す。『山海経』の側には「有易殺王亥,取僕牛」の六字しかない。二処を並べ、本篇は合併せず、どちらが実に近いかを裁断せず、一方で他方の空白を埋めもしない。
三、『史記』——世系には「振」だけがある
第三処は『史記·殷本紀』の世系で、原文は——「曹圉卒,子冥立。冥卒,子振立。振卒,子微立」。冥・振・微の三代、続いて報丁・報乙・報丙・主壬・主癸、天乙に至り、それが成湯である。この段には「王亥」の二字がない。各条は一句だけ——誰が卒し誰が立ったか、事績は記さず、叙述は成湯から始まる。後世の注家と近代の学者(王国維以来)はこの「振」を王亥とするが、それは一説であって『史記』の原文ではない。本篇はそれを後人の説として標す。
もう一つ名が合う——「微」。史記は「微」に作り、輯本の条は「殷主甲微」に作る——一般に同一人とされる。合わせることはできるが、それでいくつもの材料を一つの伝記に縫ってはならない。一つは異聞、一つは輯佚の引文、一つは世系であり、三つのものが同じ事を言っているのか、どの頁も説明していない。
四、甲骨——材料の中にない
甲骨に王亥に関わる卜辞があると言われるが、それは現在の三頁の材料の中にはない。三頁には卜辞が一条もなく、甲骨が一片もない。ゆえに本篇は明記する——ない。甲骨を引かず、それで物語の空白を埋めもしない。同じく「商族起源」「先商史」といった通論も書かない——三頁が与えるのは一つの名、一つの殺された話、一行の世系、それだけである。
五、三つのテキスト、三つの性質
層を書き切る。『山海経·大荒東経』は異聞の筆法で一句一事、本頁には textquality 75% の標記があり異読も多い。『古本竹書紀年輯校』は輯本で、条目そのものが他書の注から引かれたもの、ゆえに「編年」の層も一手隔てている。『史記·殷本紀』は前漢の世系叙述で、「王亥」ではなく「振」を用いる。三者は同じ層ではなく、一つの伝記に縫ってはならない——本篇はただ並べて見るだけである。
各頁が与えないものも列記する。王亥の時代、有易の地望、「僕牛」が何か、事件の経過(どう「托」し、どう殺されたか)、甲微の復讐の細部——各頁は違うことを言うか、まったく言わない。本篇は補わない。輯本の頁にはもう一句注がある——「河伯、僕牛皆人姓名,見《紀年》」。これは注家の言葉であり、注として標し、正文とはしない。
結びの一句——「王亥」はこれらのテキストに数回しか現れない。一度は両手に鳥を操り鳥の頭を食べ、一度は有易・河伯に牛を託して殺され、一度は「振」として世系に現れ、一度は輯本の注で「殷王子亥」と呼ばれる。四処に分けて読むほうが、一人に合成するより確かである。
参考資料・関連文献
- 《山海经·大荒东经》(维基文库本,未与点校本复核) — The strangest of the three passages, and the only one that names Wang Hai as a figure: 'there is the State of the Kunmin, of the Gou surname, who eat millet. There is a man called Wang Hai, who holds a bird in his two hands and is eating its head. Wang Hai entrusted himself to the Youyi and to the Hebo for oxen. The Youyi killed Wang Hai and took the oxen. The Hebo remembered the Youyi; the Youyi slipped away and made a state among the beasts, and while it was eating, it was named the Yaomin' (有人曰王亥,兩手操鳥,方食其頭。王亥托于有易、河伯僕牛。有易殺王亥,取僕牛). The page is marked textquality 75% and carries the transcribers' variant readings in double brackets ({{另}}), which are not quoted here; it gives no date, no place, and no explanation of 'the oxen'.
- 《古本竹书纪年辑校》(维基文库本,未与点校本复核) — The Bamboo Annals survive only in fragments quoted by other books, and this page is a reconstruction that prints each fragment with the work it was quoted from. Under 'those with no year to attach them to' it gives: 'Prince Hai of Yin was a guest among the Youyi and was licentious there; the lord of the Youyi, Mianchen, killed him and cast him out; therefore the Yin ruler Jia Wei borrowed troops from the Hebo to attack the Youyi, destroyed them, and killed their lord Mianchen' (殷王子亥賓于有易而淫焉,有易之君綿臣殺而放之,故殷主甲微假帥于河伯以伐有易,滅之,遂殺其君綿臣), with the note that this was quoted from the commentary to the Shanhaijing's 'Dahuan East' chapter. The same page quotes a note that 'the Hebo and Pu-niu are both men's names, seen in the Ji nian' (河伯、僕牛皆人姓名,見《紀年》) — a commentator's gloss, marked here as a gloss and not as the received text.
- 《史记》卷三〈殷本纪〉(维基文库本,未与点校本复核) — Used only for the genealogy, which does not contain the name Wang Hai at all: 'Cao Yu died, and his son Ming took his place. Ming died, and his son Zhen took his place. Zhen died, and his son Wei took his place' (曹圉卒,子冥立。冥卒,子振立。振卒,子微立) — the line continues through Bao Ding, Bao Yi, Bao Bing, Zhu Ren, Zhu Gui to Tian Yi, who is Tang. The identification of this 'Zhen' with Wang Hai is a later commentators' and modern scholars' argument, not something the Shiji says; this piece marks it as such.




