『国語』の一段の対話は、民を四つの種類に分け、それぞれに居場所を与える――士、工、商、農。そして国都を二十一郷に分ける――農はその中にいない。この一節は、都をどう整えるかを語る最も引用される記述の一つであり、方案である。後ろには注家の算術が付いている。もう一つの頁、『史記』斉太公世家は、国が工商と魚塩で富んだとだけ言い、郷の数は一つも与えない。
一、斉語――四民を雑処させるな
問答は桓公の一句から始まる――「成民之事若何」、民の事を成すにはどうすればよいか。管子が答える――「四民者,勿使雜處」、四民を混ぜて住まわせるな、「雜處則其言哤,其事易」、混ざれば言葉が乱れ、仕事が移ろう。注は四民を士・農・工・商と挙げ、「哤,亂貌」と注す。この一句が論のすべてである。分ければ、それぞれの暮らしが定まる。経済でも道徳の話でもない。言葉と仕事の話である。混ざれば人の言葉は濁り、仕事は移ろう。分ければ、どの職も家で学べる。
次に四つの居場所が来る。ここでは頁そのものの言葉が問題になる――「昔聖王之處士也,使就閒燕;處工,就官府;處商,就市井;處農,就田野」。これは正文であり、管子の言葉であって注ではない。注はただ「士,講學道藝者」「閒燕,猶清淨也」と説く。四つの類はそれぞれ「群萃而州處」で始まる一段を与えられ、父の職を継ぐ子で終わる――「士之子恆為士」「工之子恆為工」「商之子恆為商」「農之子恆為農,野處而不暱」。野に住み、近づかない、という。末の一字には「暱,近也」と注が付く。四段の型は同じで、要点は継承にある。父の職は子が正式に教わらずに学び、家はその場にとどまる。
二、二十一郷――城の内に誰がいるか
後半は「定民之居若何」、民の住まいをどう定めるか、と問い、「制國以為二十一鄉」、国を制して二十一郷とする、と答える。そこへ注がすぐに割り込む――「昭謂:國,國都城郭之域也,唯士、工、商而已,農不在也」。国とは国都城郭の内を指し、そこにいるのは士・工・商だけで、農はそこにいない、と韋昭は言う。別の説も注に録されている――「唐尚書云:士與農共十五鄉」、士と農が十五郷を共にするとする唐の読みである。韋昭はこれを退ける。この注が一節の要である。二十一郷は民の全体を書いてもいなければ、全土を書いてもいない。注がなければ、読み手は二十一郷を民全体のことと取るだろう。注があれば、この方案は城郭の内の区画だけを指し、郊外は別の取り決めだと分かる。
数が続く。「工商之鄉六」――工商の郷は六つ、注は「工、商各三也,二者不從戎役也」、工と商が三つずつ、どちらも兵役に就かない、と説く。「士鄉十五」――士の郷は十五、注は「此士,軍士也。十五鄉合三萬人,是為三軍」、ここの士は軍士であり、十五郷で三万人、これが三軍となる、と説く。統帥も分かれる――「公帥五鄉焉,國子帥五鄉焉,高子帥五鄉焉」、公と国子・高子がそれぞれ五郷を率い、注は中軍と左右の軍だとする。規模は注にある――「二千家為一鄉。二十一鄉,凡肆萬二千家」、一郷二千家、二十一郷で凡そ四万二千家、肆は四の字で刷られている。注の末は「此管子制,非周法也」――これは管子の制であり、周の法ではない。算術は注が与えたままにする。十五と六で二十一、一郷二千家で四万二千家。頁は家を人に換えない。
同じ節にもう一つの編成が続く。これも城の地図ではない――「五家為軌,軌為之長;十軌為里,里有司;四里為連,連為之長;十連為鄉,鄉有良人」。これは「作內政而寄軍令」、内政を作りて軍令を寄せる、として導入され、その単位は軍のものである――「五家為軌,故五人為伍」「十軌為里,故五十人為小戎」「四里為連,故二百人為卒」「十連為鄉,故二千人為旅」「五鄉一帥,故萬人為一軍」。注は付け加える。これは斉の軍制であり、周のものではない――「萬人為軍,齊制也,周則萬二千五百人為軍」。一つの節に二つの重なる仕組みが載る。居住の区画と、家を伍に、伍を軍に変える五・十・四の編成である。
三、史記の二句
『史記』の斉の章は、これらを一つも与えない。第一句は始祖について――「太公至國,修政,因其俗,簡其禮,通商工之業,便魚鹽之利,而人民多歸齊,齊為大國」。太公が国に至り、政を修め、その俗に因り、その礼を簡くし、商工の業を通じ、魚塩の利を便にし、人民が多く斉に帰し、斉は大国となった、と。経済の概述であり、郷は一つもない。俗は「因る」とあり「改める」とはない。富は商工と魚塩に帰されている。行政の細目を一つも持たない経済の説明である。
第二句は桓公について――「桓公既得管仲,與鮑叔、隰朋、高傒修齊國政,連五家之兵,設輕重魚鹽之利,以贍貧窮,祿賢能,齊人皆說」。ここに「連五家之兵」の四字がある。五家の兵を連ねる、という。あとは同じ種類の概述である。軽重、魚塩、貧窮を贍い、賢能を禄する。どちらの句も郷の数を与えない。本稿も国語の数を取ってそれを補わない。この句には注が付かず、文は軽重・魚塩・貧窮・賢能へと進む。
四、方案であって、城ではない
国語のこの一節は対話であり、二十一郷に付いた注が、それが何であるかを自ら言う――「此管子制,非周法也」。管子の制であり、周の法ではない。一人の臣に帰された設計が、一段の話として記されている。どちらの頁も、城の図も、区画の地割も、考古の所見も、戸口の帳簿も与えない。通りを一つ名指さず、壁を一尺も測らない。斉の都が本当にこの区画で造られたと言えば、二つの頁を越える。頁が語るのは、一人の臣の設計と、一国の富裕である。地面は一度も見せない。
ここから二つのことが出る。最も間違えやすい二つである。第一に、二十一郷は四民の分区ではない。注は、城にいるのは士・工・商だけで、農は「野處而不暱」、外にいる、と言う。四民が分かれるのは、三つを城に入れ、一つを野に残すことによってである。第二に、数字は方案である。士の十五郷と工商の六郷で二十一、一郷二千家は注の換算で、合わせて四万二千家――斉の戸口調査でも、ある城の住民数でもない。注自身の数がこの一節で唯一の算術であり、それは注家のものであって、話し手のものではない。
五、境界
都市計画や分業の理論は書かない。方案を城の絵に変えることもしない。人口は与えず、家を人に換えず、斉のどれほどがこの方案に従ったかも見積もらない。城はどれほど大きいべきかを書く篇、長安の市の碁盤目を書く篇、客館を書く篇は、それぞれ別の対象を扱う。本稿は四民と、そのうち三つを収める二十一郷にとどまる。用字は頁のまま――「哤」「暱」「肆萬二千家」もそのまま写す。頁が与えるのは、分離についての一段の話と、城郭の内の数の一組であり、本稿はそこに留まる。
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参考資料・関連文献
- 《國語》卷六·齊語(舊題左丘明撰,三國吳韋昭注;維基文庫本,頁面白文附注) — The body text: 四民者,勿使雜處…雜處則其言哤,其事易; 昔聖王之處士也,使就閒燕;處工,就官府;處商,就市井;處農,就田野; 制國以為二十一鄉; 工商之鄉六;士鄉十五; 公帥五鄉,國子帥五鄉,高子帥五鄉. The notes: 昭謂:國,國都城郭之域也,唯士、工、商而已,農不在也; 二千家為一鄉。二十一鄉,凡肆萬二千家。此管子制,非周法也; 工、商各三也,二者不從戎役也; 十五鄉合三萬人,是為三軍.
- 《史記》卷三十二·齊太公世家(西漢司馬遷撰;維基文庫本,頁面白文) — Two summary sentences, one for the founder and one for Duke Huan: 太公至國,修政,因其俗,簡其禮,通商工之業,便魚鹽之利,而人民多歸齊,齊為大國; 桓公既得管仲,與鮑叔、隰朋、高傒修齊國政,連五家之兵,設輕重魚鹽之利,以贍貧窮,祿賢能,齊人皆說. No district numbers and no city plan.




