唐の法典では、荷を担ぐ人が決まる前に値段が決まっていた。百斤(きん)を百里(り)運んで百文(もん)。山坂や険しい道なら百二十文。車に千斤積めば九百文。この数字は『唐六典』に出てくる。開元二十六年(738)前後に成立した行政法典で、度支の条に、官府が水陸で運ぶ荷の運賃、すなわち脚直が定められている。これは官の値であって、市場の相場ではない。だがその違い自体が意味を持つ。ひとつの王朝が「人の体力にいくら払うか」を条文に書きつけたのだ。
一、まず戸籍、そのあとに仕事
この値段表が効きはじめる前に、国家はすでに人を分類していた。同じ巻は天下の人を四つに分ける。文武を学ぶ者が士、耕桑に力を尽くす者が農、工作と交易に従う者が工、屠殺や売買をする者が商。そのすぐあとに一言、「工・商の家は士に預かるを得ず」。生計はまず収入があって身分が決まるのではない。逆である。身分が先に決まり、天井もそこで決まった。
戸籍は三年ごとに作り、資産によって九等に分ける。毎年計帳を作り、順に戸部へ上げた。開元二十二年(734)の帳簿は八百一万八千七百一十戸、四千六百二十八万五千百六十一口——典拠には年号まで付いている。丁男と十八歳以上の中男には、制度上、田一頃(いっけい)が与えられることになっていた。これは「受けるべき額」であって「実際に受けた額」ではない。同じ巻は寛郷(かんきょう)と狭郷(きょうきょう)も定める。田が足りる郷が寛郷、足りない郷が狭郷である。四民の区分が日常でどれほど守られていたかは、法典では分からない。
二、一人の男の一年を、布で数える
普通の課戸が一年に納めるものは四つ。租は丁男ひとり粟二石。調は土地の産物に応じて綾・絹・絁(し)それぞれ二丈、布で納める場合は五分の一増し。役は年に二十日、閏年は二日増し。官府にその男を使う仕事がなければ、労役を絹に換えて取り立てた。一日につき三尺、布なら五分の一増し。二十日を三尺で換算すれば六十尺。唐の絹は四丈を一匹とし、一匹は四十尺だから、ちょうど一匹半になる。
追加の役にも値段が付いていた。十五日多く服すれば調が免除され、三十日なら租と調が両方免除される。正役の総計は五十日を超えてはならない。紙の上では、農家は時間と現物を交換できた。その換算率を決めるのは、現物を徴収する役所そのものである。
紙の下はどうか。条文が書くのは法定額で、加耗や折納、地方の上乗せはこの頁にはない。実際に納めたものは、粟二石と絹二丈より重かったはずだ——どれだけ重かったかを、この史料は語らない。
三、荷ひとつの官価
脚価表はこの法典で最も具体的な部分である。一駄(いちだ)百斤・百里で百文。山坂の険路なら百二十文。一車千斤で九百文。この勘定はやってみる値打ちがある。同じ千斤を十駄に分けて運べば千文、車なら九百文。浮く一割が、車というものの存在理由である。同じ条は一日の行程も定める。馬は日に七十里、徒歩と驢(ろ)は五十里、車は三十里。官府はこれで輸送の日程を組んだ。
この条は、国家が買い手として立つ姿も見せる。和市・和糴(かてき)では「その貴賤を量り、天下の貨を均しくして、以て人を利す」ことになっていた。いわゆる「公正な価格」という言葉が、値付けをする役所自身の編んだ文書に書かれている。官府は市場と官を二つの別物とは見ていなかった。市場は計量でき、等級づけでき、必要なら徴発できるものだった。
価格表が語らないのは、脚夫の手元にいくら残るかである。これは官府の荷を運ぶ官価であって、民間の私雇いが同じ値だったか、担ぎ手が何割を得たかは、記録がない。
四、帳簿の上の季節
工匠には別の算段がある。少府監(しょうふげん)の匠は一万九千八百五十人、将作監(しょうさくかん)の匠は一万五千人。諸州から力の強い者、手の巧みな者を選び、さらに「巧を隠して拙を補い、重を避けて軽に就くこと得ず」とわざわざ書き添えている。工匠の子は欠員を優先的に埋め、「ひとたび工匠に入れば、別の諸色に入るを得ず」。腕がよく内廷に仕える者は、納資による代役さえ許されなかった。
同じ一日でも、帳簿に記す工は違う。夏の三月と七月を長功、冬の三月と正月を短功、二月・三月・八月・九月を中功とする。六月の一日も十二月の一日も朝から晩までだが、帳簿では同じ働きとは数えない。おそらく日照の長短で換算しているのだろうが、法典は理由を説明しない。足りないのは、ほかならぬ工銭である。開元二十四年(736)、朝廷は内庫を開いて「和雇」で人を雇い、谷水と洛水の三つの堰を修めた。官府が金で人を雇ったことは確かだが、雇われた者が一日いくらもらったかは、条文にない。
五、正午に開く市
両京の市は音で開き、音で閉じる。日午に鼓を三百打てば人が集まり、日の入り七刻前に鉦(しょう)を三百打てば人が散る。市では精・次・粗の三等で値付けし、毎年八月には官の斗・秤・度尺を市署に持ち込んで校印させた。偽物を売れば没官、寸尺が足りなければ持ち主に返す。奴婢や牛馬を売買するときは、本司に申告して検め、券を立てることが必要だった。
都の配置もそれに合わせてある。二つの市は四坊の地を占め、都全体は百十坊。正午に開き、日没に散る市は「半日制」の機構だった——ただし法典が書くのは規定であって、実態ではない。長安の市が毎日正午に開いたのか、開市の前に取引があったのかは、この史料では分からない。三百年後の開封では、餅屋が五更に火を入れていた。二つの都のあいだのこの差こそ、法典の届かない部分である。
最後の材料は詩人から来る。白居易「売炭翁」は、千余斤の炭を積んだ車を宮使に引いて行かれ、紅紗半匹と綾一丈を牛の角に結んで炭の値段とした老人を書く。詩の序は「官市の苦しみ也」といい、宮市は中唐の徳宗朝のこと。詩は文学であり、価格表ではない。だが条文に書けない層を描き出す。値段表が役に立つかどうかは、隣に立っているあの役人次第だ。法典は一つの荷に値段を付け、一つの季節に工を数え、一軒の家に等級を付けることができた。だが担ぎ手が家に持ち帰る額だけは、ついに書き残さなかった。
参考資料・関連文献
- 李林甫等《唐六典》卷三《尚书户部》(Li Linfu et al., Tang Liudian, juan 3, Board of Revenue) — The four classes of subjects, nine grades of households, land allotment, rent–cloth–labour, and the land-and-water freight rates.
- 李林甫等《唐六典》卷七《尚书工部》(Li Linfu et al., Tang Liudian, juan 7, Board of Works) — Artisan quotas in the Palace Workshops and Directorate of Construction, the hereditary artisan register, seasonal reckoning of work, and hired labour.
- 李林甫等《唐六典》卷二十《太府寺·两京诸市署》(Li Linfu et al., Tang Liudian, juan 20, Court of the Imperial Treasury, Markets of the Two Capitals) — Noon drum and sunset gong, three price grades, the annual sealing of weights and measures, and contracts for slaves and livestock.
- 白居易《卖炭翁》,《白氏长庆集·新乐府》(Bai Juyi, "The Charcoal Seller", New Yuefu) — Literary scene of the palace market, used for atmosphere only, not as price evidence.
- Denis Twitchett, "The T'ang Market System", Asia Major 12.2 (1966): 202–248 (Denis Twitchett, publications list) — The author's publication list; the article itself is not on this page, but the entry gives the full citation for further reading.




