まず田の一鍬から。『詩経·周頌·良耜』は秋の収穫前の仕事を書く。「其の鎛斯れ趙し、以て荼蓼を薅る。荼蓼朽ち止まり、黍稷茂り止む」——鋤は鋭く、雑草を除く。草が腐れば、黍稷がよく育つ。この二句のなかに、土地を養う論理が一組隠れている。除草は草に養分を奪われないためだけではなく、草を土に戻すためでもあった。

一、草は肥

「薅」は抜き、刈ること。「朽止」は田のなかで腐らせること。「茂止」は作物がよく育つこと。これは先秦文献のなかで最も直接的な「除草して肥とする」記録で、『周頌』の作、年代はおおよそ西周から春秋の早期とされる。詩の前の小序は『良耜』を「秋に社稷に報ずる」歌——秋の収穫後に土地の神に感謝する楽歌——とする。だからこれは農書ではなく、農作業を詠んだ詩である。

一つの詩句では制度は支えられない。だが一件事は言える。当時の人はすでに、草は単なる敵ではないと知っていた。田に残せば、次の季節に役に立つ。

二、土地を調整できるものとして見る

この篇は冒頭、后稷の口を借りて一連の問いを出す。「子は能く窐を以て突と為すか。子は能く其の悪を蔵して之を揖ぐるに陰を以てするか。子は能く吾が土をして靖んじ、圳をして土を浴せしむるか。子は能く雚夷をして淫せざらしむるか。子は能く子の野をして尽く泠風と為さしむるか」——窪地を高畦に変えられるか。悪いところを蔵め、湿気を迎えられるか。土を落ち着かせ、溝に土を洗わせられるか。雑草を蔓延らせないようにできるか。田の全体に風を通せるか。問いは修辞だが、並んでいるのは農作業の一覧だ。水、塩、草、風、穀粒。

戦国末の『呂氏春秋·任地』はこれを原則にした。「凡そ耕の大方、力なる者は柔を欲し、柔なる者は力を欲す。息する者は労を欲し、労する者は息を欲す。棘なる者は肥を欲し、肥なる者は棘を欲す。急なる者は緩を欲し、緩なる者は急を欲す。湿なる者は燥を欲し、燥なる者は湿を欲す」——土が硬すぎれば柔らかくし、柔らかすぎれば固くする。休んでいる土は耕し、耕し疲れた土は休ませる。痩せた土は肥やし、肥えすぎた土は痩せさせる。締まりすぎれば緩め、緩すぎれば締める。湿りすぎれば乾かし、乾きすぎれば湿らせる。

同じ篇にもっと直接な一句がある。「地は肥えしむべく、又た棘せしむべし」——土地は肥やせ、痩せさせることもできる。この一句が「肥力」を天からの授かり物から、管理できるものに変えた。方向は人にあり、方法は観察にある。

三、どこまで耕すか、どう検めるか

方法は耕耨の反復である。「五たび耕し五たび耨り、必ず審らかにして以て尽くす。其の深殖の度、陰土必ず得べし。大草生ぜず、又た螟蜮無し」——一つの田を五たび耕し、五たび耨り、徹底してやり切る。深耕の合格基準は「陰土必ず得べし」、つまり下層の湿った生土を掘り上げること。効果は「大草生ぜず」、虫害もないこと。

農具の寸法も、原文は具体的に与えている。耟は長さ「六尺」、幅「八寸」、これで畝を作り、溝を作る。耨の柄は「尺」、刃は「六寸」、これで間引く。この数字は戦国のもので、春秋のものではない。だが「五耕五耨」「陰土を見る」の二条は、当時の土地理解をすでに書き切っている。肥力は表層にあるだけではなく、土を返して上へ持ち上げるものだ、と。

四、四季に草を殺し、焼いてから灌ぐ

『周礼·秋官·薙氏』は草を殺すことを専門にし、四季を四つの段階に分ける。「春、草の生じ始めれば之を萌し、夏至に至りては之を夷し、秋、縄して之を芟し、冬至に至りては之を耜す」——春、芽を出したばかりのうちに鋤き、夏至には地際まで刈り、秋、実を結ぶころに芟し、冬至には耜で凍土を返す。この時序そのものが養地法である。草を大きくさせず、種を結ばせず、草を土に還す。

鄭玄の注はさらにもう一歩を補う。「若し其の化せんことを欲せば、則ち火を以て其の芟萌せし所の草を焼き、已りて之に水せば、則ち其の土も亦た和やかにして美しからん」——「化」させたいなら、刈った草を焼き、それから水を注げば、土が和らぎ美しくなる。火が灰を与え、水が土を熟させる。これは文献で読める「化土」の法であり、鄭玄は漢の人で、注したのは『周礼』の理想制度であって、春秋の実況ではない。

五、書き入れられないもの

三つの材料は、この回、引用できる原文を確認できなかったので書かない。『周礼·地官·草人』の「土化の法」「糞種」(騂剛には牛、赤緹には羊、というあの組み合わせは二次的な伝聞しかない)、「動物の骨汁に種を浸す」という読み(後人の解釈で、学界に異論がある)、戦国鉄犂の考古学的な出土地点と年代(開ける正式報告がない)。

年代も分けて言わねばならない。『詩経·良耜』は西周から春秋早期の農事詩、『左伝』は春秋の史事を記し、成立はさらに遅い、『周礼』は戦国の人が書いた理想官制、『呂氏春秋』は戦国末の農学の総括である。四つを混ぜて「春秋の人々はみなこうしていた」としてはならない。成熟した厩肥の制度は後のことで、この文章はその前倒しをしない。

立ちうる結論はこうだ。先秦が肥力を解決した方法は、観察と時序による技術の一組であった。草は田で腐り、土の状態に応じて逆に調え、深耕で陰土を返し、草を焼いて水を注いで土を「化和」させた。揃った厩肥の制度はまだなく、農書もまだ一冊もない。だが土地を養うという考えは、すでに詩のなかに、法典のなかに、農学の総括のなかに現れていた。

参考資料・関連文献

  1. 《诗经·周颂·良耜》(Shijing, Zhou Hymn, "Good Plough") — The line 'the hoe cuts the weeds; the weeds rot and the millet flourishes', in a hymn the preface calls a harvest sacrifice.
  2. 《吕氏春秋·任地》(Lüshi Chunqiu, "Working the Land") — The five pairs of soil conditions to be adjusted, 'land can be made fertile and made exhausted', five ploughings and five hoeings, the subsoil test, and the dimensions of plough and hoe.
  3. 《周礼注疏》卷三十七·秋官·薙氏 (Zhouli Zhushu, juan 37, "Ti Shi") — The four-season schedule for killing weeds, and Zheng Xuan's note that burning the cut weeds and then watering them makes the soil 'harmonious and fine'.